柳生街道(奈良春日~柳生~笠置)
柳生の里
柳生の里を二分するように流れる小さな川、今川に架かる橋を渡って川向こうの道を進むべきか、橋を渡らず左の道をとるべきか躊躇して、近くの人家の老人に柳生の里に向かう道を問うた。
老人はここが柳生である、一刀石を見学して陣屋跡に向かうなら橋を渡って川向こうの道、今、見頃の花菖蒲を見て陣屋跡に向かうなら左の道、柳生の史蹟を見学するなら距離が長くなるが是非、一刀石と天乃石立神社を廻るのが良いと教えられた。
一刀石とは柳生石舟斎が暗闇の中を歩いていると前に白く浮かぶ巨大な物体が眼に入り、石船斎は天狗が現れたと思い一刀で切り裂いた。翌朝、村人がその場を訪れると巨岩が一刀で切り裂かれていたとの伝説が有る怪石である。
天乃石立神社は延喜式内社に名を連ねる古社で祭神は「豐磐間戸命、櫛石間戸命、天磐門別命、天照大姫命」御神体は巨石で前伏磐、前立磐、後立磐と三つに割れた、信じられないような不思議な巨岩が有るとの事。(豐磐間戸命、櫛石間戸命、天磐門別命の三神は古事記によれば同一神で天照御大神が「豊葦原水穂国」に邇邇芸命を天降らせた時、邇邇芸命を守護して降臨した神で、この神は宮門の守護を司った。 天照大姫命は記紀に見えない。天照御大神は女神とされ大日靈貴の別称がある。天照を頂く神は天照御大神しかなく、天照大姫命は天照御大神の事と思われる。)
老人から親切に教えられ、知らなかったとは言え柳生に来て柳生に向かう道筋を聞いた非礼を詫び、老人の勧めも有ったが行程の短い菖蒲園を目指して歩を進めた。
柳生の里は山間に開けた小さな盆地であった。盆地の中央を南から北に今川の細い流れが柳生の里を分断していた。
我々は 今川の左岸に沿ってしばらく歩き、左折して雑木林の道を辿ると老人に教えられた菖蒲園が有り、そこから少し下った所に柳生家の屋敷跡である陣屋跡があった。
柳生陣屋は石垣を巡らした城であったが明治六年建物も石垣も公売に付され、今は遺構を残すのみで昔の建物跡や井戸を石積によって復元し碑を立てて陣屋跡史跡公園となっている。
柳生家は代々大和国柳生の庄に居を構えていた豪族であった。柳生家が世に出るのは柳生宗厳(石舟斎、一五二七~一六〇六年)の時である。