柳生街道(奈良春日~柳生~笠置)

剣豪の里「柳生」

 陣屋跡から八坂神社の鳥居の前を過ぎ、雑木林の山道を歩いていると下の方から剣道の稽古であろうか鋭い気合の声が聞こえて来た。流石、剣豪の里、柳生だと感じ入りながらしばらく山裾を歩いた。

 林を抜けると見事な石組みと白壁の土塀を巡らした「家老屋敷」と思しき立派な屋敷を見つけ近付いてみると、我々と同じように間違えて訪れる人が絶えないのであろう、屋敷の門の横に「家老屋敷は隣りです」との立て札があった。この屋敷は小山田家分家屋敷で家老屋敷より古いように感じた。

 家老屋敷は柳生家一万二千五百石の家老であった小山田主鈴しゅれい(一七八一~一八五六年)の旧邸で江戸末期の武家屋敷の遺構をそのまま伝えているとの事。

 昭和三十九年、(一九六四年)、作家の山岡荘八氏(一九〇七~一九七八年)の所有となり、以後この屋敷にしばしば滞在し小説「春の坂道」の構想を練った屋敷と云われている。今は遺族から寄贈を受けた奈良市が管理し一般に公開している。

 屋敷を見学すべく坂を登り、門をくぐると屋敷は平屋でさほど大きくはないが如何にも武家屋敷を感じさせる簡素な造りであった。

 内庭に面した一室の縁側に座り庭を眺めていると爽やかな風が吹き抜け、都会の喧騒を忘れさせる別世界であった。

 家老屋敷でしばしの休息を取り、坂を下って地図を広げ正木坂道場を探したが、地図を確かめず歩いて来た報いか、道場も柳生家の菩提寺、芳徳寺も今川の対岸に有り既に通り過ぎていた。

 やはり老人に勧められたとおり柳生の里を巡るには一刀石を見物し、正木坂道場、芳徳寺を訪ね歩き陣屋跡を経て家老屋敷に至る道順が正しかった事を気付かされた。

 名所旧跡を見物する旅ではなく歩く事が目的と己を納得させ、改めて地図を確かめ、柳生のシンボル十兵衛杉目指して歩を進めた。

 家老屋敷から歩いて程なく柳生のバス停に着いた。近鉄で頂戴した「てくてくまっぷ」の二枚目が終わり、奈良からおよそ二十一キロであった。


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