文明の十字路 トルコ紀行
ベリーダンス
夕食の前にボスポラス海峡の夜景鑑賞に出かけた。そこはドルマバフチェ宮殿(1843~1856年にアブドゥル・メジド一世により建造された。現在は迎賓館として利用されている。)の入り口にある石畳を敷き詰めた広場であった。
宮殿の門の前には時計塔が有り、右手には二本の細身のミナレットが立つドルマバフチェモスクが有った。
広場はボスポラス海峡に突き出たテラスのように前方を遮る物は何一つ無く、対岸のユスキュダルの街が一望出来る夜景鑑賞に絶好の場所であった。テラスには所々にベンチがあり端の方のベンチにはカップルが何組か腰掛けていた。
ベルマさんは時間を見計らっていたのか日が沈み夕焼けが最も美しい時間であった。昼間はブルーの海であったボスポラス海峡も日没の光に照らされキラキラと黄金色に輝いていた。少しずつ夕闇が迫ると対岸のモスクが黒々と浮かび上がり街の灯りが見え始めた。
そして、左手に有る時計塔とドルマバフチェ宮殿、右手にあるドルマバフチェモスクがライトアップされた。
夜空に浮かび上がった宮殿とモスク、それに対岸の夜景、遠くにライトアップされた第二ボスポラス大橋が見え、何時までも見飽きない美しい夜景であった。
トルコ旅行の最後の夕食はベリーダンス・ディナーショーであった。オスマン帝国の王宮の奥深いハレムに仕える女性達が王の為に踊ったと云われるベリーダンスとはどの様なダンスなのか楽しみにしていた。
ベリーダンスはトルコ、エジプトをはじめ広く中近東で踊られている女性の踊りである。ベルマさんの話ではトルコの女性は小さい頃から教えられ大概の女性は踊ることが出来るそうである。
そして、結婚式や割礼式等の男達の宴会の席にベリーダンサーを呼ぶ事もあり、女性だけの宴会の席では必ずベリーダンスが始まるとの事であった。
ベリーダンスの起源は諸説あり、文献に現れていないので詳しいことは不明であるが、スペインのフラメンコもインド舞踏から発祥したと云われており、ベリーダンスもジプシー(インド北西部発祥のロマ民族)の影響を受けて元々存在していた音楽や踊りが変化したのかも知れない。
訪れたレストランはツーリスト用のナイトクラブなのか、ドアを開けて中に入ると大音響の音楽が流れ、見渡すとお客はドイツ人の観光客と日本人だけであった。
食事を摂りながら時々舞台を眺めていると、最初に登場したのは男性のダンサーであった。彼らはロシアのコサックダンスを思わせる踊りを延々と続け、その単調さに辟易(へきえき)した頃、肌もあらわな衣装の女性ダンサーが現れた。ダンサーは褐色の肌に長い黒髪それにバストは巨乳のIカップであった。(掲載した写真の女性とは異なる)
ベリーダンスは素足で踊る即興のソロダンスである。登場したダンサーは女性の身体的美しさとセクシーさを強調するように腹部や腰をゆっくりと流れるように動かし、時には小刻みに腰を震わせ、バストを強調するかの様な手の動きに合わせて上体をくねらせて踊っていた。ベリーダンスは女性の体型的な特徴である胸や骨盤を強調して男を魅了する官能的な踊りであった。
一人が踊り終えると次のダンサーが現れ同じ様な踊りが繰り返された。三人目ぐらいまではセクシーな踊りでもあり見ていたが同じ様な音楽と踊りが延々と続くともううんざりであった。