トプカプ宮殿

トプカプ宮殿 文明の十字路トルコ紀行  コンスタンチノープルを征服したメフメト二世はセラグリオ岬に新宮殿を建設し、海側の門に大きな大砲を据え付けた事から、大砲門の宮殿、トプ(大砲)カプ(門)サライ(宮殿)と呼ばれるようになった。

 そしてオスマン帝国の歴代皇帝の宮殿となり、19世紀まで止む事なく増改築が続けられた。1853年、スルタン・アヴドゥルメジット一世(1823~1861年)によって西洋風の豪壮なドルマバフチェ宮殿が建設され、トプカプ宮殿は放置された。

 1923年オスマン帝国が崩壊しアタテュルクがトルコ共和国の成立を宣言した翌年の1924年、トプカプ宮殿を博物館に指定し、修復して一般に公開された。

 かつては許された者しか入る事が出来なかった送迎の門を入ると木々の緑が美しい広い庭になっている。

 まず目に付くのは右手にある巨大な煙突が連なる長さ50メートル以上もある大きな建物である。この建物は陶磁器などの展示場になっているが、かつては1,000人以上の料理人が働き毎日4千人分の食事を用意していた巨大な厨房である。この厨房が宮殿の中で最も大きな建物ではなかろうか。

 トプカプ宮殿には調理場を除いて大きな建物はなく、比較的小さな建物が連なり庭にはキヨスクの語源となった東屋、キョシュクがある。(JRの駅の売店の愛称をキヨスクと名付けたのは1973年である。)

トプカプ宮殿、30~40カラットのダイヤ 文明の十字路トルコ紀行  見学者で賑わう宝物館にはオスマン帝国の栄華を極めた宝物の数々が展示されていた。そこには四九個のダイヤで縁取りされた86カラットのダイヤ、黄金の兜、純金の巨大な燭台、黄金と宝石を散りばめた玉座、ダイヤとルビーを散りばめた黄金の揺り籠、大きなエメラルドをあしらった“短剣トプカプ”、30~40カラットは優にあると思えるダイヤの周りをルビーで縁取りしたネックレス、金の果物篭にまるでガラス玉を盛るように篭一杯に盛られた大きなエメラルドの石、その横には同じく篭に山盛りにされたダイヤ、等々オスマン帝国の栄華をまざまざと見せ付ける宝物の数々であった。

 陶磁器のコレクションも素晴らしく、シルクロードを経由して集められたのか元朝の青磁、日本の伊万里と思える陶磁器も多数展示されていた。

 武器展示室には山田寅次郎がスルタン・アブドゥル・ハミト二世に献上した生家中村家伝来の鎧兜と太刀が展示されていた。

トプカプ宮殿、短剣トプカプ 文明の十字路トルコ紀行 謁見の間は正面に玉座が有り、豪華絢爛、これ以上装飾の施しようがないほど柱も壁も天井も金箔をふんだんに使った装飾が施され、床には豪華なヘレケの絨緞が敷き詰められていた。そしてこの謁見の間にもイズニック・タイルの青を基調としたタイル装飾が施されていた。


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