文明の十字路 トルコ紀行

ガラタ橋

 金角湾に架かるこの橋が何故、ツアーの見学コースに入っているのか良く解らないが、ここは歴史的には意味のある地である。1845年に初めて橋が架けられその後何度も架け替えられ現在の橋は5代目である。

 金角湾は長さ7キロ、平均水深35メートルの入江でイスタンブールの旧市街と新市街を隔てている。長い間天然の良港としての役割を果たしていた。

 この金角湾に最初に橋を架けようとしたのはベヤズイット二世(1447~1512年)であるが実現には至らなかった。

 ようやく木造の橋が架けられたのは1845年、アブデュルメジト一世(1823年~1861年)の時である。その後、1912年にドイツの会社が橋幅26メートル、長さ468メートルの二階建ての浮き橋を架けた。

 金角湾に架かる唯一の橋であったこの橋も1992年火災によって消失し現在のガラタ橋は二階建ての浮き橋の隣に建設中であった新ガラタ橋の工事を急ピッチで仕上げた橋である。

 新ガラタ橋も二階建てで上階は一般道路、下階にはレストランや飲食店等々の商業施設があり、橋の中央部分は跳ね橋になっている。(現在、金角湾にはガラタ橋を含め3本の橋が架かっている。)

 橋の対岸(新市街)に聳える大きな塔がガラタ塔である。この塔は金角湾の北側に居留区を構えていたジェノバ人が1340年頃、攻撃に備えて物見の塔として建設したものである。

 日露戦争(1904年(明治37年)2月~1905年9月)の時、山田寅次郎が黒海に配備されていたロシアの黒海艦隊の動静を見張ったのがガラタ塔である。

 寅次郎は人を雇い毎日ガラタ塔から黒海艦隊の通過を監視していた。艦隊が動くと必ずここを通過するからである。そして、黒海艦隊が現れると艦船名と通過日時をいち早く日本に伝えた事が日本海海戦の勝利に繋がったと云われている。

 但し、この当時、国際条約でロシアの黒海艦隊はボスポラス海峡、ダーダネル海峡の通行は認められていなかったので商船に偽装した仮装巡洋艦数隻の出動にとどまっている


次のページ グランドバザール

前のページ トプカプ宮殿


objectタグが対応していないブラウザです。