文明の十字路 トルコ紀行
カッパドキア
バスはキャラバン・サライからカッパドキア観光の拠点、ネヴシェヒルにむかった。標高がかなり高いのかバスの中も冷え込んできた。
夜の7時頃、ネヴシェヒルのホテルに着きバスを降りるとかなりの寒さであった。翌朝は6時起床、7時出発の予定との事であった。朝が早いのは慣れてきたので特に驚きもしなかった。
翌朝、早めに朝食を済ませ、外に出て見ると凍てつく様な寒さであった。ホテルの玄関にあった温度計を見ると気温は-8度であった。何時の間に降ったのかホテルの廻りは雪が降り積もり真っ白であった。ホテルの前の道は凍結し、寒さに震えながらスーツケースを確認しバスに乗り込んだ。
日本でも有名なトルコの観光地カッパドキアはアナトリア高原の中央に位置し東京23区ほどの広さにわたって奇岩地帯が広がる台地である。ネヴシェヒル、カイセリ、ニーデの三都市に囲まれた位置にあり、カッパドキアとはこの地方の総称である。
この地方はおよそ300万年前、富士山に似たエルジェス山(3916メートル)とハッサン山(3268メートル)の大爆発により、周囲の高原は火山灰が降り積もった。その火山灰が固まって出来た凝灰石と流れ出た溶岩が層になって積み重なった台地である。(標高およそ1000~1200メートル)その後、長年の風雪によって奇怪な造形芸術の景観を作り上げ、台地は川の浸食によって深く削り取られ、深い渓谷を作り出した。ウフララ渓谷は川床まで100メートルも有り、渓谷はオアシスの如く木々が生い茂っている。
カッパドキアに人間が住み始めた歴史は古く、紀元前8000~7000年以上前からと云われ紀元前1900年頃のヒッタイト時代には交易で栄えていた。その後、ローマの迫害を逃れたキリスト教徒がヒッタイト時代に造られた地下都市(カイマクル地下都市等々)に隠れ住んだ。
キリスト教がローマ帝国の国教となり、東ローマ帝国(ビザンツ帝國)の時代には多くのキリスト教徒が移り住んで岩窟教会を造り上げた。岩山や切り立った両岸の崖の岩を掘り抜いて作られた教会や修道院、数千の住居跡がある。此処に住む人々は木材も無く、レンガを焼く粘土も無いので比較的柔らかい凝灰石の岩山を掘り抜いて洞窟を住居とした。
我々には信じられないが近年までこの洞窟の中で人々が暮らしていた。今は政府の方針により、人は住んでいないが訪れてみると岩山のあちこちに穴があけられまさに洞窟が住居であった。
そして、カッパドキア地方には現実に見なければ信じられない地下都市がある。数箇所が一般公開されているがまだ発見されていない物を含めると200ヶ所ほど有ると推定されている。
一般公開されている地下都市の中で比較的規模が大きく保存状態の良いカイマクルの地下都市を訪れた。