文明の十字路 トルコ紀行
キャラバン・サライ
コンヤの見学を終えてキャラバン・サライに向かった。キャラバン・サライはコンヤとアクサライの街の間に有り、バスが走っている道がシルクロードである。
国道に平行して石油のパイプラインの敷設工事が行なわれていた。埋設用の直径1メートルほどの鋼鉄のパイプが荒野のなかを一直線に延々と並べられ行く手に丘が有れば丘を横切り地平線の彼方まで続いていた。
この石油パイプラインはアゼルバイジャンのバクー沖にあるカスピ海油田からグルジアのトビリシを経由してトルコに入り、トルコ東部を斜めに横切って地中海の積み出し港ジェイハンに至る全長1776キロメートルに及ぶ長大なパイプラインである。(このパイプライン設備は約四〇〇億円で日本企業連合が受注した。)
パイプラインとつかず離れずどこまでも一直線の道が延び、少し高度が上がったのか所々雪が見えるようになった。
遠くに見える山も雪を冠っていた。日が傾き、遠くに白く輝くハサン山(3、916メートル)が何時までも車窓から消えなかった。
キャラバン・サライに近付くにつれ霧が濃くなってきた。辺りは薄暗くなりバスもスピードを落とすほどの濃霧となった。
シルクロードの隊商宿キャラバン・サライ(サライとは城とか宮殿を意味するそうである。)は想像していたのとは大きく異なり大平原の中にぽつんと威容を誇る大規模な城塞であった。
想像していたのはラクダを引き連れた隊商がテントを張るキャンプ地でなんらかの施設が有る程度と思っていたが着いてみる百聞は一見にしかず巨大な城塞であった。
コンヤ近くにはシルクロードを旅する隊商宿が一定の間隔で点在していたそうであるが、殆どが崩れ落ち保存状態のよいのが訪れたスルタンハン・キャラバン・サライである。
遠くから眺めたキャラバン・サライは中世の映画の一シーンを思わせる如く、この日は霧に煙り幻想的な光景であった。
13世紀に建てられたこのキャラバン・サライは近付くと頑丈な城門を備え、周囲は高い城壁に囲まれ、見張台が有り、まさに大規模な城塞であった。
中に入るには正面の門しかなく、夜になると城門は閉められ見張りの兵士も隊商も外に出る事は出来なかった。まさに盗賊から隊商を守るための城郭である。
往時、ラクダを引き連れてシルクロードを旅する隊商はこの様な宿に泊まった。そして、宿で交易が行なわれ、交易であがる税で賄われていたので宿泊料は無料であった。
城門を入ると石畳を敷き詰めた広い中庭が有り、中庭の中央にモスクが有る。中庭を中心にコの字形に回廊が有り、回廊の奥が壁で仕切られた宿泊所になっている。宿泊所はかなり広く、小さい部屋で20~30畳は有る様に思える。
宿泊所は冬場に利用する部屋と夏場に利用する部屋に分かれているそうである。そして、ラクダを繋ぎ止める部屋もあった。
キャラバン・サライにはハマム(トルコの蒸し風呂)や食堂も有り、それに盗賊を留置する刑務所も有ったそうである。キャラバン・サライでの盗みは重罪人として何処までも追跡して捕らえ厳しく罰せられた。
奥のほうに壁の仕切りが無い広い部屋があり、そこが積荷の保管場所であった。隊商は積荷のリストを提出し、もしも盗まれた場合は全額弁償してくれるそうである。この様にキャラバン・サライは隊商が安心して泊まれる宿であった。