文明の十字路 トルコ紀行
イズミール
トロイからエーゲ海の海岸沿いの国道をイズミールに向かった。トロイからおよそ300キロ、車窓からの眺めはオリーブの果樹園が延々と続き、山道に入ると松林であった。
ガイドのベルマさんの話に拠るとこの辺りの松の木から蜜が採れるそうである。信じがたいがほのかに松の香りがしてさわやかな甘さであると話された。
国道沿いに時々、テントを張った露店が有り、オリーブの塩漬、松の蜜はこれらの露店で販売しているとの事。
松には雄花と雌花が有り雄花の花粉が風に運ばれて受粉してマツカサになる事は知っていたが花に密が有る事は知らなかった。帰国してインターネットで調べて見ると「松の蜜は松につくアリマキという虫が松の樹液を食べ、その排泄物に糖を出しミツバチがこのアリマキの尻を狙って蜜を集めたもの、蟻が樹木に寄生するアブラムシの尻を狙うように。かくして松の蜂蜜が生産される。」と記されていた。
小さな集落に入るとどの家も太陽の恵みが豊かなのか屋根の上には太陽熱利用の温水器を取り付けていた。
ベルマさんの話に拠るとイスタンブールのような大都市は別としてトルコはエネルギー事情が悪く、田舎では温水器で補っているとの事であった。
オスマン帝国の時代、エーゲ海に面したイズミールには多くのギリシャ人が居住していた。
第一次世界大戦でオスマン帝国が敗北した時、ギリシャはアナトリアに居住するギリシャ人の保護を名目に居住地帯を自国領に拡大する好機と捉え、アナトリア西南部に上陸しギリシャ人が多く住むイズミールを中心とするエーゲ海沿岸一帯を占領した。
そして、1922年、ギリシャ軍は内陸に向かって進軍し、それを阻止する為にアタテュルク率いるアンカラの国民政府軍は反撃を開始しサカリヤ川の戦いでギリシャ軍を敗走させた。
ギリシャ軍はイズミールに撤退し防御網を築いたが、トルコの国民政府軍は全面攻勢に出てギリシャ軍は数日で総崩れとなり軍船でギリシャ本土に撤退した。この戦いでイズミールは戦場となり壊滅的なダメージを受けた。
ギリシャ軍は敗北して撤退し、トルコは連合国とローザンヌ条約を結び、ギリシャとトルコの間で住民交換協定が結ばれた。イズミール近辺に居住していた多数のギリシャ正教徒のギリシャ人は本国に強制移住させられた。
ギリシャに住んでいたイスラム教徒のトルコ人もトルコに強制移住させられ、帰国したトルコ人の多くが空き家となっていたイズミールのギリシャ人住居に住み着いた。
現在のイズミールは再興され当時の面影は無くイスタンブールに次いでトルコ第二の規模を誇る港湾都市で大貿易港であり、有数の工業、商業都市でもある。
イズミールは一年を通して過ごしやすい気候で、夏になると輝く太陽と青い海、咲き誇る花、といった典型的なエーゲ海都市の景色が広がり、欧米各国から観光客が押し寄せ、治安も良く国際観光都市として、エフェソスやベルガマといった古代遺跡に行く時の中継地となっている。
そして、エーゲ海に面したイズミールはトルコでも有数のリゾート地で、海岸沿いの松林には瀟洒(しょうしゃ)な別荘が建ち並んでいた。夏の家と称し2~3ヶ月滞在するそうである。
夏はイスタンブールからも大勢の若者がここを訪れ、ペンションや安いホテルの部屋か貸し別荘をレンタルしてバーベキュを楽しみながら2~3週間滞在するとの事。
若者の楽しみは海水浴とスキーとの事。イズミールから車で3時間ほど山に入れば夏でもスキーが出来るそうである。
その為、川の水が流れ込む海岸は雪解け水で水温が低く午後になっても数日間泳げない事も有るとの事。
今は冬なので松林に囲まれたビーチに人影はなく殆どの別荘も空き家との事。しかし、冬は滞在しないのにどの家にも暖炉の煙突が有るのを不思議に思っていると、ベルマさんはすかさず、あの煙突は室内でバーベキュをする為の煙突ですと説明があった。
車窓から眺めていると分譲地であろうか同じ形の家を数軒建設中の現場も何箇所かあった。見ると家の建て方は木造の柱に当たる骨組みをコンクリートで造り、壁は窓の部分を除いてレンガを積み重ねた建築であった。別荘は二階建てでかなり大きな建物であった。価額は結構お高い値段との事。
バスはリゾート地を過ぎ、薄闇が迫った頃イズミールの街に入った。イズミールの街のレンガ造りのマンションの屋根にも一戸毎に使うのであろう所狭しと温水器が並べられていた。
繁華街と思しき通りには別荘の調度品の需要が多いのかやたらと家具店が目に付いた。それもほとんどの店が店先にソファーとテーブル、椅子を並べた家具店であった。
繁華街を抜けると海岸沿いに高級マンションが建ち並んでいた。見るとどの家もレースのカーテンだけであった。
イズミールの夏は蒸し暑く、どの家も浜風を取り入れるために厚手のカーテンは取り付けないとの事。車窓から眺めるとどの家も照明は立派なシャンデリアであった。
「あと5~6分でホテルに着きます。」との話であったがバスは山中に入り15分、20分経ってもバスは山中の暗闇の中、スピードを上げて走り続けた。
途中で道を間違えた様だが片側一車線で大型バスではUターン出来ない。交差する道路も無くバスは走り続けた。40~50分走って有料道路の料金所に着き、バスは料金所のゲートを抜けて反対車線にUターンして停車した。
料金所の係員も驚いたのであろう何か大声で怒鳴っていた。バスの運転手とガイドが料金所の係員に事情を説明して納得してもらったのであろう5~6分停車してバスは間違った場所まで引き返した。
イズミールはトルコ第三の都市で人口およそ270万人、一歩郊外に出ると交差する道路も無い一本道に驚きを感じた。
そして、郊外の道路には標識も無く、この時もY字型に分岐した道で道路標識も無かった。
バスの運転を任されていた若い運転助手が間違うのも無理は無いと感じたが、運転手はこの間違いを許さず翌日から運転助手にハンドルを握らせる事はなかった。
6時半頃ホテルに到着予定であったがプリンセスホテルに着いたのは8時頃であった。部屋にスーツケースを置き、シャワーも浴びずにすぐ食事となった。
食事はバイキング形式で、今まで味わった事が無い料理がずらっと並んでいた。食べ物には好奇心旺盛なので少量ずつ大皿に取り、食したが不味い物は一つも無かった。
昼食の時、食さなかったが青唐辛子を食してみた。今では日本の青唐辛子はほとんど辛くないのでそのつもりで食べてみるとこれが驚くほど辛く一気に汗が噴出し急いでビールを飲んだ。
日本でも時々、辛いのが有るので特別辛いのに当たったのかと思い、その後も食事の度に青唐辛子を食べてみたが全て驚くほど辛かった。
ホテルには温泉が湧き出ており各部屋の浴室は温泉であった。バスタブも大きくゆったりと温泉の湯につかり疲れを癒した。
翌朝、朝食の時、ツアーの仲間に「昨夜はバスタブも大きく温泉でいいお湯でしたね。」と告げるとツアーの仲間は「私の部屋は温泉の蛇口からはぬるいお湯がちょろちょろしか出ませんでしたよ。」ツアー客が一斉に使ったので水圧の関係で上の階では温泉が出なかったようです。