文明の十字路 トルコ紀行
チャナッカレ
ガリポリの街の手前でバスは検問に引っ掛かり停車させられた。トルコでは時々この様な検問が有るそうである。大型バスの運転免許を持っているか、許可された車であるか、等々細かい事をチェックするそうである。
お陰で20分ほど停車させられ半島の先端に有るキリトバヒールから出るフェリーに乗り遅れる可能性大となり急遽ガリポリの街から出るフェリーに乗る事になった。
ダーダネル海峡は古代から現代に至るも戦略的に重要な要衝である。トロイ戦争もこの海峡の制海権を握る戦いであったのではないかとも云われている。
一四五一年、イスタンブール(コンスタンチノープル)攻略をもくろむ第七代スルタン、メフメット二世はヨーロッパ側のキリトバヒールと対岸のチメンリックに海峡を監視する要塞を建設した。
マルマラ海の制海権を制したメフメット二世は2年後の1453年、10万の大軍と大艦隊を派遣してコンスタンチノープルを攻撃し陥落させた。こうして一千年の長きに亘り存続した東ローマ帝国(ビザンチン帝国)は滅亡した。
第一次世界大戦の時もイギリス、フランスの連合国はこの海峡の制海権を握るべくアタテュルク率いるオスマン軍と激闘を繰り返した。
そして、この海峡は黒海を基地にするロシア艦隊がヨーロッパへ出撃する出入り口でもあり、冷戦時代も今もロシアを警戒する欧米諸国にとって地政学的には重要な海峡である。
ダーダネル海峡は対岸の街並みが見えるほど狭く、船旅はわずか30分ほどであった。船上で「チャイ」「チャイ」と大きな声で飲み物を売りに来た。五、六人連れのトルコの婦人が買っておいしそうに飲んでいるのを見て売り子に近寄って見ると紅茶であった。
値段を聞くと100万トルコリラ、日本円でおよそ89円、船上は風も冷たく少々寒かった事もあり注文して飲んでみるとなかなか美味かった。
「チャイ」(トルコティー)とは多分「茶」の発音に由来するのであろう。その後、レストランでも「チャイ」と言ってトルコティーを注文した。これが最初に憶えたトルコ語であった。
海峡を渡りバスはチャナッカレに向かった。チャナッカレはダーダネル海峡に喉仏の様に突き出た小さな港町である。古くから軍事的にも重要性が高く町にはトルコ海軍の軍事施設が有り、海軍の軍服を着た軍人を度々見かけた。
イスタンブールからアジアサイドの街チャナッカレまでおよそ320キロ、チャナッカレでレストランに入り昼食を摂った。
添乗員からトルコのビールは格別ですよと教えられていたので早速ビールを注文した。ビールは小瓶で代金は1,400,000トルコリラ、日本円で125円であった。
確かにトルコのビールは格別に美味かった。そしてふと気が付いた。トルコはイスラム国で禁酒ではないのか。
ガイドのベルマさんに聞いてみると「ビール、ワインはオスマン・トルコの時代から製造されており、トルコ共和国になり政教分離政策が敷かれ飲酒について割と自由な雰囲気になった。イスタンブール、アンカラ、等の大都会ではビアホールや居酒屋、ワインバーが数多く軒を連ねています。」そしてトルコにもさまざまな銘柄のビールが有りますが人気の高いビールの銘柄は「エフェス」との事であった。
その後、食事の度にビールを注文した。出てきたのはやはり青いロゴの「エフェス」であった。パンも又、格別に美味かった。
朝、ホテルで食べたパンがとても美味しく特別だと思っていたがレストランのパンも格別美味しくパンのお替りを注文したほどであった。(パンのお替りは無料)
その後もホテルのレストランや街のレストランで食事の度にパンを食べたがトルコのパンは格別に美味しかった。小麦が違うのか、焼き方が異なるのか、イースト菌が違うのか、とにかくトルコのパンは美味しい。
昼食に出された料理は「キヨフテ」トルコ風肉団子それにトマト、青唐辛子等の生野菜と松の実やサフラン等が入ったピラフであった。トルコは世界三大料理(フランス、中華、トルコ)の一つと云われているが食事は本当に美味しかった。
しかし、デザートはとても甘すぎて口に出来なかった。トルコ人は甘い物が好きなのかデザートは何時も甘いものばかりであった。
土産物店で試食したお菓子も甘いものばかりで口に合わなかった。そして運転手と助手が食後のあと小さなグラスで「チャイ」を飲むのを見ていると何と大匙3杯も砂糖を入れて飲んでいたのには驚いた。