文明の十字路 トルコ紀行
ブルーモスク
アヤ・ソフィア大聖堂に対抗してアフメット一世(1590年~1617年)によって一六〇九年から7年間かけて1616年に建造されたモスクが通称ブルーモスクと称されるスルタンアフメットジャミィである。
アフメット一世はスルタンアフメットジャミィが完成した翌年の1617年、チフスがもとで27歳の若さで死去した。
ブルーモスクは6本のミナレット(尖塔、一日五回メッカのカーバ神殿に向かって礼拝する時間を知らせる為に建てられた塔。)を備え、高さ43メートル、直径二七メートルの大きなドームが有り、そのドームを取り囲む様に4つのドームが有る。モスクの柱廊の天井も30のドーム屋根になっている。
遠くから見るとドームが折り重なっているように見える。内部は四本の巨大な柱でドームを支えステンドグラスから差し込む淡い光がイズニック・タイルの淡いブルーをより美しく際立たせている。
一般にブルーモスクと云われるのは内部の壁、柱、天井の装飾に使われているイズニック・タイルの青を基調としたタイル装飾からきている。
そして260も有る窓の全てにステンドグラスが嵌められている。青を基調としているので派手さは無いが豪華、華麗な装飾である。壁を飾るタイルは通常我々が知るタイルとは掛け離れた美しい磁器である。
ガイドブックによると21,043枚のタイルが嵌め込まれ、当時タイル1枚が銀貨18枚に値したそうである。
ブルーモスクはトルコ最大のモスクで礼拝所はとにかく広い、縦53メートル、横51メートルもあり、床には絨緞が敷き詰められている。絨緞には四角い模様が有り、この模様が礼拝の時占有できる一人分の広さである。礼拝所にはおよそ1,200人収容出来るとの事。
モスクは基本的には女人禁制であるがブルーモスクには、奥まった所の二階に女性が礼拝出来る場所がある。
ブルーモスクの見学を終えて広い公園の中を歩いてアヤ・ソフィア大聖堂に向かう途中に高さ25メートルも有る巨大なオベリスクが聳え立っている。(オベリスク本体は約20メートル)
このオベリスクはビザンチン帝国(東ローマ帝国)皇帝テオドシウス一世(在位379年~395年)の命令でエジプトからコンスタンチノープルに運ばせてこの地に立てられ「テオドシウスのオベリスク」と呼ばれている。
オベリスクを眺めているとトルコの物売りの少年が「ムッシュ」と声を掛けて来た。物売りの子供は男性には「ムッシュ」と声を掛け、女性には「マダム」と声を掛けてから売りたい品物を見せて千円、千円と売り込んでくる。
大半の子供達は片言の日本語と英語を解し、この時も「日本語で書かれたイスタンブールのガイドブックだ、この絵葉書を三冊付けるから千円で買ってほしい。」と日本語で告げ、いらないと伝えると「おねがい」と云われ、家内からも買ってやったらと云われて財布を見たが生憎千円札が無かった。十ドル札を差し出すと「まって」と云って年長の少年に相談しポケットから百円硬貨を取り出し「おつり」と云って差し出した。
トルコの物売りの少年達が片言の日本語を解する事にも驚かされたが、律儀にもお釣りを差し出した事にも驚かされた。
次に「ムッシュ」と声を掛けて現れたのはトルコの独楽(こま)を売る少年であった。この少年も「ムッシュ」、「トルコの独楽です十個千円で買ってください。」見ると長い紐の付いた独楽であった。「どうやって回すの」とたずねると独楽に長い紐を巻き付け地面に叩きつける様に投げると独楽は勢い良く回り、紐を操って独楽の曲芸を見せてくれた。十個はいらないので一個で良いと云って一ドル札を渡すと「百円です」と答え、困った表情をしたのでおつりは要らないと云うとにっこり笑って立ち去った。
この様にトルコの物売りの少年は為替相場を理解している事に驚かされた。