皇位争乱
第四話 垂仁天皇
狭穂彦の謀叛
垂仁天皇(活目入彦五十狭茅尊)がお生まれになったのは、崇神天皇が三十二歳の時であった。帝が后の御間城姫と褥を共にして眠りについた時、夢に神が顕れ、「御子を授ける、その御子を次の帝にせよ。」と告げて神は掻き消えた。
数ヶ月の後、帝は后が懐妊したとの報せを受け神の御告げが本当であった事に驚き、急いで御間城姫を見舞った。僅かな腹の膨らみを認め、后にこの御子は神から授かった大切な宝で有る、身体をいたわり良き御子を産めと后を励ました。
御子は生れた時から身体が大きく二十歳で立太子の儀を執り行った時、すでに御身の丈が六尺二寸(一八六センチ)もある大男であった。
帝は太子が幼少の頃から大勢の御子の中でも特に太子を可愛がり常にお側近くから離さなかった。長じて後、太子は些細な事に囚われない並外れて度量の大きい青年となり群臣の人望を集めた。
父、崇神天皇が崩御し先帝を山辺道勾岡上陵(奈良県天理市柳本町)に葬り崇神天皇の謚と共に諸国を平定して初めて一つの国となった事を称え御肇国天皇の謚も奉った。
そして、翌年春一月十三日、即位して十一代垂仁天皇(在位二八一年一月二日~三〇八年七月一四日)となられた。御歳三十一歳であった。
帝は先例に倣い纒向の珠城宮(奈良県桜井市大字穴師)に都を定め、先帝の遺勅に従い日子坐王の娘、狭穂姫を召して皇后とした。
先帝の崇神天皇は崩じた後に日子坐王が叛き皇位継承の争いが起こる事を怖れた。日子坐王は開化天皇の皇子でも有り皇位を継承しても何の不思議も無かった。
崇神天皇の薨去を機に日子坐王が大和、山代、近江、丹波の豪族を糾合して乱を起こせば吉備、尾張の豪族も呼応して大乱に発展し兼ねない力を秘めていた。
崇神天皇は乱を未然に防ぐべく神武天皇が物部と盟約を交わした如く日子坐王と盟約を交わしていた。それは日子坐王の姫を太子の后とし、生まれた皇子が皇位を継承するとの盟約であった。垂仁天皇は帝位に就くと盟約を違えず日子坐王に使者を遣わし一族の姫を后にすると告げた。
日子坐王は娘の狭穂姫を后に奉った。帝は政略の為に召し出した姫を一目見て虜になった。狭穂姫は美貌と優しさを兼ね備え、淑な振る舞いと細やかな心遣いに帝の心は和んだ。狭穂姫は帝が求める理想の媛であった。
帝は他の妃を顧る事も無く、足繁く狭穂姫の館を訪ねた。狭穂姫も心が広く包容力の豊かな帝に心を奪われ帝の来駕を知らせる先触れの使者が来ると胸は高鳴りを覚え頬に紅がさし満面に喜びが満ち溢れた。
狭穂姫と帝は花を愛で、月を愛で、満ち足りた時を過ごし、帝も自然に杯を重ねて一日語り明かす事もあった。そして、帝の来駕が一日遠のけば心は乱れ、狂おしい程の辛さを隠し侍女と遊び戯れても心は満たされず遣る瀬無い思いが募った。帝が訪ね来れば、喜びに胸の動悸が高鳴り、感涙が止めど無く流れ、待ち侘びた思いの丈を口走り胸に縋って喜びを露わにした。
帝の虜となった狭穂姫には幼き頃から慕い続けた同母兄の狭穂彦がいた。二人の兄妹は幼き頃から親しみ合い長じてからは許されぬ愛を育んでいた。(この時代、異母兄妹の愛は許されるが同母兄妹の愛は社会通念上許されなかった。)
政略によって后に召された狭穂姫は当初、引き裂かれた悲しみに打ちひしがれていたが心の広い帝に抱かれて心を開き、もはや兄の狭穂彦は愛を語り合う相手ではなかった。
一方の狭穂彦は妻も有り子も生していたが帝の后となり手の届かぬ雲上人となった狭穂姫を想い続けていた。狭穂彦の心は傷つき、姫を召し上げた帝に怨みが募った。
日を経るにつれ妄想が妄想を呼んで嫉妬心が膨れ上がり、知らず知らずの内に妹を奪われた憎しみが帝を弑(臣下が主君を、子が親を殺す事。)する想いに変わっていった。それと共に開化天皇の孫として世が世ならば皇位は我が一族が継いだやも知れぬとの想いに駆られた。
その想いは内向的で豪族を糾合して反乱の兵を挙げ、天下を奪う野心は無く、唯、帝一人を殺す思いに始終していた。帝を弑する思いが募っても帝を弑する機会が訪れるとは思えなかった。それにも増して帝は人に抜きん出た堂々たる体躯の持ち主で有り、華奢な狭穂彦には六尺豊かな帝に一人で立ち向かって刀を振るう勇気は無かった。
私憤に助力を請う親しい皇族も群臣もいなかった。仮に相談しても帝の政に非の打ち所は無く群臣の全てが帝に心服していた。嫉妬に狂った狭穂彦を助ける愚かな群臣、豪族が居るはずはなかった。
狭穂彦は日も夜も帝を弑する事を考え続けたが夢物語の域を出なかった。思いつめた狭穂彦は狭穂姫に殺させる窮余の一策を思いついた。
狭穂姫に憎しみが湧いた訳ではなく唯単に帝の寵愛を受け帝の側近くに侍り褥を共にして帝も狭穂姫に心を許している。狭穂姫なら弑する事は容易であろうとの理由だけであった。
帝を弑した後の事は考えてもいなかった。まして、狭穂姫に罪を被せる意図は全く持っていなかった。
帝を弑すれば直ちに狭穂姫は捕らえられ狭穂彦に討手が差し向けられ叛逆の罪で殺される事が明白にもかかわらず思い及んでいなかった。帝が居なくなれば狭穂姫は我が元に帰るであろうと安易に考えていた。短絡と云えば余りにも短絡的に考えていた。
思い詰めた狭穂彦は狭穂姫の館を訪ね、よもやまの話の後、居住まいを正して「帝と兄と何れが大事か。」と問うた。
狭穂姫は唐突な兄の問いに何故か解からず「兄上をお慕いしております。」と応えた。狭穂彦はその言葉を受けて膝を進め帝を弑する企てを話した。
「本来、帝の位は開化天皇の御子である我が父上(日子坐王)が就くべき所を物部大連が謀略を巡らし皇位継承を混乱させた。物部大連は印恵命(崇神天皇)の武に屈し、豪族、群臣が夫々、皇子を推戴し皇位を争うは愚かしい事で有ると虚言を弄し素性の怪しい印恵命を開化天皇の皇后、伊香色謎の御子としてお迎えし、しかる後、太子として擁立する事を群臣に承知させた。物部は万世一系の皇統を改め、群臣を誑かし数々の証をあげつらい、群臣を煽動して父上の即位を混乱に落としめた。群臣は騙され、調略され、逆らう臣は武を以って屈服させ皇位を簒奪して印恵命を即位させた。我らの躰には神武天皇の血が連綿と流れ、皇統を嗣に相応しい血筋である。物部は策を弄し神武天皇に国譲りした大和を奪い返す為に、印恵命を使って皇統を簒奪した姦物である。崇神天皇の御代、孝元天皇の御子、武埴安彦は皇統を汚され、皇位は簒奪されたと怒り、密かに軍備を調え諸国に檄を飛ばしたが密告に合い、諸国の兵を待てずに乱を起こしたが戦に破れ乱に加わった者は全て斬り殺された。帝は武埴安彦の乱を契機に我が父が大津に都を開き諸国の豪族と呼応して乱を招く事を怖れた。それ故、神武の昔、物部が屈して国を譲り、帝の后は物部の媛を召し生まれた御子を太子とする事を約した故事に倣い、太子の后は日子坐王の一族から召し生まれた御子を太子にする事を約して我が父と和睦した。此度は盟約に従い我が一族から狭穂姫を召して后としたが皇統を簒奪した事実を覆い隠す事は出来ない。皇孫の一人として汚された皇統を正し、父上の怨念を晴らす為には帝を弑さねばならない。幸い后に上がった狭穂姫は帝の寵愛を受け何時もお側ば近くに侍っているがいずれ色香が萎え寵愛が薄らぎ帝に近づく機会は遠のくであろう。帝を弑する機会は今を置いて巡り来る事はないであろう。我も狭穂姫も開化天皇の皇孫として皇統を糺す責務が有り父上の怨念を晴らす宿命にある。狭穂姫が帝の后に上った事も神が帝を弑せよとの暗示であろう。父上の為、我が為に帝を弑せよ。」と狭穂彦は哀願の眼差しを狭穂姫に向け、手を握りしめて鍛えぬいた紐小刀(細身の短刀)を取り出し静かに狭穂姫の手に握らせた。
肉親の情に厚い狭穂姫は迷いに迷ったが兄の願いを強く断れず差し出された紐小刀を受け取った。恐ろしい頼みとは云へ兄を慕い父を思う狭穂姫に断る勇気は無かった。
帝の寵愛を一身に受ける狭穂姫は兄も帝も裏切れない板挟みの身となり悩みに悩み抜いた。兄の頼みは天下を覆す大事で有り、事の次第を打ち明けられる人も無く悩みは胸の痼となって疼いた。
手渡された紐小刀を何度も打ち捨て様と思ったが愛しい兄から授かった物でも有り打ち捨てるには忍びなかった。帝と褥を重ねる時も帝に紐小刀を見つけられはしないかと衣を脱ぐ度に胸の高鳴りを覚えた。
狭穂姫は努めて兄の頼みを忘れようとしたが兄の言葉が脳裏に焼き付き頭から離れなかった。自問自答を繰り返し悩みは深まるばかりであった。
帝を弑し茫然自失して立ち竦み、帝の遺体に縋り付いて泣き叫ぶ夢を見た。夢にうなされ叫びを聞きつけて侍女が駆け寄り揺り動かされてやっと恐ろしい夢から覚めた事もあった。
兄、狭穂彦も夢に現れ帝を弑せよ、帝を弑せよと叫び、哀願する夢も見た。夢から覚めた時、水を浴びた如く衣はびっしょりと濡れていた。狭穂姫に心休まる時は失せてしまった。
帝に会いたいと想う心と、帝に会う事を躊躇う心の葛藤に悩まされた。帝に会って、ふと悩みを口走りそうな己が怖かった。胸の内を悟られぬ様に、努めて明るく振る舞っても心の動揺は押さえきれず突然ふさぎこむ事も有った。
この時、狭穂姫は妊娠しており悪阻に苦しんでいた頃であった。帝は狭穂姫の様子がおかしいのは悪阻のせいであろうと思い狭穂姫を気遣い常にいたわりの言葉を掛けていた。
帝の心根を痛いほど感じていた狭穂姫は帝を弑する事など出来る筈が無いと強く心に言い聞かせ努めて兄の頼みを忘れよう、脳裏から消し去ろうと何度も思った。
ある時、帝は后を伴って朝貢の使者をねぎらう宴を開いた。帝は昼間から酒を嗜み心地よい睡魔を覚え后と共に宴を中座して望楼に上った。
帝は出産を間近に控えた狭穂姫の腹をさすり御子の誕生を今日か明日かと待ち望んでいた。狭穂姫が懐妊したことを告げた時、侍女が控えているのもかまわず帝は心底から喜びを顕わにし、狭穂姫を抱きしめて手柄を誉め、侍女に命じて敷物を重ねさせ横になって休め、身体をいたわれと自ら狭穂姫の背をさすった。
懐妊を知ってから帝は足繁く狭穂姫の館を訪れ腹を見せろとせがみ、腹に耳を当てて御子が動いたと喜びの声を上げる事もしばしばであった。
望楼に上った帝は狭穂姫の膨らんだ腹をさすり、いたわりの言葉を囁き御子の声を聞きたいと后の膝を枕に腹に耳を当てて横になった。横になると先程の宴の酒が眠気を誘い帝はそのまま軽い寝息を立てて寝入ってしまわれた。
狭穂姫は眠りに就いた帝の顔をまじまじと見て、今まで忘れようと努めていた狭穂彦の頼みがふと頭を過ぎった。帝を弑する千載一遇の好機であった。狭穂姫の心は千々に乱れ紐小刀を握っては離し、握っては離した。
帝の遺体に取り縋って泣き叫ぶ姿を思い浮かべ、狭穂彦の哀願する顔が瞼に写った。兄の声が頭の中で響き渡った。
それは悪魔の囁きであった。「今を置いて好機は来ない、狭穂姫に弑される事が帝の運命である。紐小刀を握り締め首筋に突き立てよ。」悪魔が頭の中で喚き叫んだ。
狭穂姫は朦朧とした意識で紐小刀を握り締め帝の御頸を刺そうと二度、三度、紐小刀を振り上げはっと我に返った。握り締めた紐小刀を見て哀しみが込み上げ涙が止めど無く溢れた。
涙が帝の顔に落ち目を覚まされた帝は涙に濡れる狭穂姫を見上げ、「今、夢を見た錦色(錦のような文様)の子蛇が我が頸に絡み付き、佐保(奈良県奈良市法蓮町 佐保丘陵 狭穂彦の領地)の方から俄雨が降り出し、目が醒めた。后は何故涙で袖を濡らすのか。」とわけを問われた。
狭穂姫は謀り事を隠しきれず、頬を流れる涙も拭わず、床に伏して、兄の謀叛を申し述べ帝に許しを請うた。「兄の企てを申し上げれば、兄が殺され、企てを行なえば天下を傾ける、兄を諫めることも叶わず、昼も夜も苦悩に満ちて、人目を忍んで咽び泣く日々を過ごしました。」狭穂姫は床に平伏して兄を改心させる事を誓い、必死に兄の助命を嘆願した。
帝は聞き終わって、「狭穂姫に罪は無い。」と言い置いて直ちに臣下の八綱田(帝の兄、豊城入彦の子)を召し、「狭穂彦が謀叛を企てている直ちに兵を差し向けよ。」と命じた。
八綱田は数百の兵を集め、纒向の珠城宮(奈良県桜井市大字穴師)から上ツ道を北に走り狭穂彦の領地、佐保に向かった。この頃、奈良盆地を南北に走る大道が三本あった。東から上ツ道、中ツ道、下ツ道が有り八綱田は上ツ道を北上し現在の近鉄奈良駅を過ぎ佐保川を渡河して狭穂彦の館(奈良県奈良市法蓮町 狹岡神社)まで凡そ二十キロであった。
狭穂彦は事に備え館の周りに柵を廻らし稲わらを積み上げて稲城を作り防備を固めていた。狭穂彦は迫り来る兵馬の喊声を聞き企てが失敗したと感じ急いで館の守りを固めた。
馬を馳せ館に到着した八綱田は館を遠巻きに囲んで「謀叛の企てが露見した。速やかに門を開き降伏せよ。」と叫んだが狭穂彦は矢を射掛けて拒絶した。
八綱田は兵に命じて矢を射掛け、矛を翳し、馬を駆けて館に迫ったが稲城に阻まれ、狭穂彦も家人を奮い立たせ館の屋根に兵を上げ、矢を射かけて防戦した。時が経ち、帝が自ら兵を率いて馳せ参じるとの知らせを受け、八綱田は囲みを固めて兵を引いた。
到着した帝に八綱田は戦況を報告し、「無理を押して攻めれば容易く落ちましょう、しかし、謀叛の臣一人を討ち取るのに帝の兵と貴重な矢を失いたく有りません。館に籠もる兵の数は多寡が知れております。敵の矢が尽きるのを待ち、ゆるりと攻める所存であります。」と作戦を披瀝した。
帝は櫓を組む事を命じ、弓の名手を召しだし、火矢を放ち館ごと焼き殺せと命じた。八綱田は櫓を組む支度に掛かり、兵に囲みを解くな、此方から無駄な矢を射掛けるなと兵に命じた。
一方、狭穂姫は帝が直ぐさま八綱田に命じ兵を差し向けた事に驚き、急ぎ狭穂彦に知らせる為、数人の侍女と共に館を抜け出し馬に跨って佐保に向かった。
しかし、八綱田の兵は早く、既に狭穂彦の館は兵に囲まれ、帝の軍勢も到着していた。もはや狭穂彦が逃げ出せる望みは絶たれ帝から館に火を掛けると告げられた。狭穂姫は「何卒、寛大なご処置をもって命だけはお助けを。」と哀願したが帝は聞き入れなかった。
狭穂姫に罪はないと帝は申したが謀叛の話しを聞き素早く行動した帝に怖れを感じた。謀叛が露見した今、我が手で帝を弑する企てを帝は何時まで許すで有ろうか。
館に詰める警護の兵も警戒の手を緩めず、帝の寵愛も何れ冷めるであろう、寵愛が去った時、八綱田は帝の許しを得て、我を切り刻んで野に棄てるか、謀叛の咎を問い極刑を以て臨むで有ろう。
今、八綱田は櫓を組む事に取り掛かり兵は囲みを固めて矢を射らず、時たま狭穂彦の兵が矢を射掛けるのみ。時を逸さず館に駆け込み狭穂彦と共に死のうと狭穂姫は決意を固め、帝に許しを乞う言葉を侍女に託し、囲を分けて狭穂彦の館に向かって駆け出された。
走り去る狭穂姫を見咎めた帝は「狭穂姫を追って連れ戻せ」と兵に追わせた。兵は風に翻る狭穂姫の薄絹の衣の裾を握り引き寄せたが衣は裂けて捕えられなかった。
帝は走り去る狭穂姫に向かい、「狭穂姫に罪は無い、速やかに戻れ。」と叫んだが狭穂姫は振り返る事も無く館に駆け込んだ。
狭穂彦も家人から狭穂姫が髪振り乱して館に向かっていると聞き急ぎ門を開いて叫んだ。「帝も聞け、謀叛の罪は我一人に有り、狭穂姫は我が手先として誑かしたのみ。狭穂姫よ急ぎ帝の元に立ち返れ。」
狭穂姫は狭穂彦の言葉に耳を貸さず、追いすがる兵を振り切り稲城の内に駆け込み、帝に申し述べた。「謀叛の枝につながる私が何の面目あって天下に臨めましょうか、天下の大罪を企て身を永がらえては天下に示しが付きません。何卒、死を賜りとう御座います。」狭穂姫は云い終わって館に走り込んだ。
帝は臨月間近かの狭穂姫と御子の事が気掛かりで組み上がった櫓に駆け上り「狭穂姫に罪は無い、速やかに戻れ。」と説得に努めたが狭穂姫は応じなかった。
館では狭穂彦も「謀叛の罪は我一人に有り、狭穂姫と腹の御子に罪は無い。今生の願いとして帝の元に帰ってほしい。」と懇願したが狭穂姫は聞き入れ無かった。
帝は館を囲んだまま攻めるのを止め数日の時が過ぎた。館に駆け込んだ狭穂姫は程なく陣痛をもよおし皇子をお生みになった。
狭穂彦はせめて御子の命は救って欲しいと狭穂姫に懇願した。そして、館の屋根に上り、櫓に座す帝に向かって申し述べた。「狭穂姫に皇子が誕生した。謀叛の罪は我一人に有り、まして、天が授けた御子に何の罪も無い。帝も人の親として、生まれきた御子を皇子として育て賜りたい。」
帝は告げた、「願いは聞き入れた。御子は母の元でこそ健やかに育つ、狭穂彦よ、母子共々速やかに渡せ。」
狭穂彦は御子と共に寝台に伏す狭穂姫に帝のお言葉を告げ速やかに御子を連れて館を立ち去れと懇願したが、狭穂姫は帝に申し開きが立たぬ、共に死なせて欲しいと哀願して帝のお言葉を聞き入れ無かった。
困り果てた狭穂彦は狭穂姫に申し聞かした。「御子も共に死なせる訳にはいかぬ、帝に御子を引き取る使者を寄越せと伝える故、御子を抱いて稲城の外に立て。」と申し付けた。狭穂姫も御子の命を奪う非情を哀しみ、狭穂彦の言に従った。
帝は狭穂彦の申し出を承知して、受け取りの使者に強力で足の速い兵を選び直々に申し付けた。「母子共々抱き留め、如何にもがき嫌がろうとも引き摺ってでも連れ戻せ。例え狭穂姫の衣が切り裂け血を流そうとも意に解す事は無用である。振り解いて逃げ失せる様で有れば髪を掴み、衣を引きずってでも御子と共に狭穂姫も連れ戻せ。」と命じた。
狭穂姫は引き戻される事を考え使者が狭穂姫と思わぬ様に顔に煤を塗り、粗末な衣装に改めて侍女に成り済まし、女の命の長い黒髪を切り捨て、切り取ったその黒髪を短く為った頭髪に飾り紐で結わえた。衣の袖の糸を切り、走り去る時の邪魔に成る衣の裾を切り捨てた。手と腕には油を塗り、御子を手渡した時に手を握られる用心をした。
使者の強力が稲城に近寄り狭穂姫が差し出した御子を受け取ると同時に狭穂姫の腕を掴んだが油で手は滑り捉える事が出来なかった。強力は走り去ろうとする狭穂姫の風になびく長い黒髪を掴んだ。掴んだ黒髪は飾り紐と共にするりと解け強力の手に残った。強力は慌てて狭穂姫の衣の袖を引き掴んだが衣の袖は一筋の音を残して引き千切れた。なを追いすがったがあと一歩で狭穂姫は館に逃げ戻った。
帝は取り逃がした強力を打ち据え叱責した。強力は狭穂姫の企みを述べ帝に許しを乞うたが帝は許さなかった。帝は何とか連れ戻したい一心から再び櫓に上り、逃げ戻った狭穂姫に呼びかけた。
「狭穂姫よ、御子の名は母が名付けるのが古来からの習わしである。この御子の名は何と付けるのか。」と問うた。
狭穂姫は帝に応え、「今、火を掛け館を焼くに当たり、火中で生まれし御子なればその御名は本牟智和気と称すべし。」と告げた。
帝は狭穂姫になを呼びかけた。「育てる母が居らねば御子は育たない誰が育てれば良いか。」
狭穂姫は答えた。「御乳母を付け、産湯を使う役を定め養育願いたい。」
帝は次に問うた、「汝が固く結んだ下紐を誰に解かせれば良いのだ。」(男女が共寝した後、互いに相手の下紐を結び合って、再び会うまで解かない約束をする習慣があった。)
狭穂姫は答えた、「丹波の美智宇斯王(日子坐王の御子、狭穂姫の異母兄)の娘、名は兄比売(日葉酢媛)、弟比売(渟葉田瓊入媛)の二人は貞節な乙女で御座います。この二人をお召し下さい。」と申し述べた。
帝はもはや狭穂姫は戻らない覚悟を固めた事を改めて悟り、軍勢を増やし、囲みを固めた。そして、もはや此れ迄と思い八綱田に火を放てと命じた。
八綱田は躊躇したが、帝は「事は終わった刀に掛けるより炎の内に焼き殺せ。」と命じた。
八綱田は兵に命じ館に火箭を放った。そして、一人たりとも逃すな逃げ出る者は館に追い返せと命じた。館は火炎の中で崩れ落ち狭穂彦と狭穂姫は焼け死んだ。
事が終わったが帝の無念の思いは消えなかった。あの強力の不始末で狭穂姫を死なせてしまった。このまま許すわけにはいかぬ、帝は強力を召し出し田畑を取り上げ八綱田に命じて頸を刎た。