皇位争乱
第七話 仁徳天皇
隼別皇子の冤罪
仁徳天皇(大鷦鷯尊)の后、石之媛(父、葛城曾都毘古)は気性の激しい女性で非常に嫉妬深く帝を悩ませていた。曾都毘古の功により帝の位に上ったこともあり后に頭が上がらなかった。
石之媛は先に妃に上がった日向の髪長媛は赦せるとしても他の妃を娶る事を赦さず侍女も后の嫉妬を恐れ帝に親しく近づく事を避けていたほどであった。
吉備の黒姫は后の気性も知らず宮中に上がり后の逆鱗に触れて無体に追い返された媛であった。黒姫は吉備の海部直(水軍の長官)の娘で吉備では噂に高い美貌の媛であった。帝が吉備に行幸された折りその噂を聞くに及んで是非、妃に召したいと思い仲人を立てて海部直に申し入れ黒姫を迎えた。
帝は黒姫を伴って都に連れ帰ったが后の嫉妬を怖れ黒姫の身分を采女(応神天皇の時代に制度化された女官で諸国の豪族が娘を差し出した。)として宮中に上げた。
しかし、宮中では吉備から新しい妃を迎え入れたとの噂が広まり、后はこの噂を耳にして逆上し見境も無く室内の物を次々に打ち壊し、多くの品々を打ち捨て部屋中にまき散らかして怒りを顕わにした。
打ち捨てた中に帝から頂戴した貝の腕飾りが有ったが侍女は大切な物とは知らず后に告げずに処分してしまった。
后は黒姫が帝に会う事を許さず海賊の娘と罵り、室から出る事を許さず、耐え難い屈辱を与え続けた。黒姫は帝を御慕いして近づく事を試みたが后に命ぜられた侍女の監視の眼が厳しく叶わなかった。
有る時、黒姫が腕に帯びた貝の腕飾りを后が見咎め侍女に命じて無理やり腕から外させ腕飾りを手に取ってしげしげとながめて「この腕飾りは帝から拝領したこの世に二つと無い品である。何時の間に盗みを働いたのか。」と騒ぎたてた。侍女はそんなに大切な品とは知らず処分したとは言い出せなかった。
黒姫を憎く思う后は罪人として処罰せよと帝に詰め寄った。その腕飾りは珍しい貝で造られ一対として帝に献上された品であった。帝は一つを后に二つと無い品であると告げて与え、もう一つを吉備の黒姫に与えた。
帝は本来一対で有ったとは言い出せず黒姫を哀れに思ったが后の為すがままに任せた。后は黒姫を厳しく問い詰めたが、黒姫は帝から吉備で拝領した品であると言い張り、濡れ衣を着せられる謂われはないと后に盾突いた。
逆上した后は黒姫を難波津から吉備に追い返せと侍女に命じ、黒姫は帝に暇を請う寸暇も与えられず難波津に追い立てられて無理遣り船に乗せられた。
黒姫が難波津から船に乗り吉備に追い返される事を知った帝は黒姫に別れを告げたいと思いその日は高殿に登り黒姫の乗る船を探した。
后は黒姫になを執着する帝の姿を見て怒り心頭に発し急ぎ使いを遣って黒姫を無理遣り船から下ろし陸路歩いて吉備に帰れと強要した。
黒姫は陸路、吉備に向ったが不憫に思った帝の近習の一人が密かに小船を仕立て、黒姫を船に乗せた。しかし、不運は重なり小船はほどなく嵐に遭遇し波と風に翻弄されて難破し黒姫は運良く須磨の浦に打ち上げられた。
従者の大方は嵐の中で命を落とし黒姫に従う供は数名の侍女のみであった。
黒姫の一行は陸路をさ迷う様に西を目指し播磨と吉備の境にある関所に辿り着いた。関守は一行の風体を見て哀れに思い関所の室に招き入れ素性を問いただした。
その時の黒姫の姿は破れた衣を身に纏い、髪は乱れ、痩せ細って見る影も無かった。心労と疲労が重なり黒姫の眼には景色も人の顔も朧にしか見えなかった。
黒姫と知った関守は大いに驚き吉備の和気を支配する豪族の佐伯に報告した。絶世の美人と吉備で評判を呼んだ黒姫の余りに変わり果てた姿に佐伯は驚き、自ら接見して真、黒姫かと問い質した。そして、黒姫を館に留め周匝川(吉井川)の鰻を食させ黒姫の回復を待った。黒姫は鰻の薬効を得て回復し眼も見える様になった。
一方、帝は黒姫の安否を気遣い吉備から知らせはないかと近習の者に度々尋ねていた。黒姫が后に追い返されて二ケ月ほど経った頃、吉備の佐伯から使者が訪れ「妃の黒姫は病も癒え我が館に留まっております。姫は帝との再会を日夜神に祈り、帝の行幸を願っております。」と告げられた。帝は黒姫の無事を喜び居ても立ってもいられず淡路に国見に行くと偽り淡路から吉備に行幸し黒姫と一夜を共にした。
丹波桑田(京都府亀岡市)の玖賀媛も帝に見初められ采女として召し出されたが、帝は后の嫉妬を怖れ妃に上げることも、褥を共にする事も出来ず多くの年月が過ぎた。
このままでは女の盛りも過ぎ一生嫁ぐことが出来なくなると思い、誰か妻にしたいと思う者はいないかと近習の者に問うた。
すると播磨の国造速待が畏れ多い事と存じますが、私が妻として娶りましょうと申し出たので帝は玖賀媛を速待に賜った。
翌日の夕刻、速待は玖賀媛の家に行き親しくうち解けて褥を共にしようと思ったが、玖賀媛は「寡婦として生涯を終えたい。」と言い張り速待の妻となる事を拒み続けた。
この事を漏れ聞いた帝は自尊心を傷つけられた速待の心を察し旅の道中なら思いを遂げられようと速待に玖賀媛を国元の丹波桑田に送り届けさせたが、玖賀媛は強引に言い寄る速待に辱めを受ける事を拒み自から命を絶った。
他にも后の逆鱗に触れ国元に追い返された媛もいたが帝はこりずに菟道稚郎子に報いる為、同母妹の八田若郎女(菟道稚郎子の同母妹)を妃に迎えたいと后の石之媛に語られたが后は承知されなかった。帝は諦めずに何度も后に語られたが后は承知されなかった。
秋九月、后は新嘗祭の後に行われる酒宴の折に神饌を盛る器として使う御綱柏(潮御埼神社の御神木マルバチシャノキ)の葉を採りに紀伊の国の熊野の岬(潮岬)にお出かけになられた。
帝は后を見送ると直ちに八田若郎女を召して宮中に上げ昼も夜も戯れに遊び八田若郎女の望みのままに妃とされた。
后は帝が八田若郎女を宮中に上げたとは知らず御綱柏の葉を御船に満載して帰路に就かれた。后の船が難波津に近づいた頃、蔵司(宮中の財宝や装束を収める倉庫を司る役人)に仕える女官の倉人女の乗った船は少し遅れて難波津に向かっていた。そして一艘の船に行き会った。その船に乗っていたのは宮中の水取司(飲料水を管理する役人)の下で働く吉備の児島の人夫で倉人女とは顔を見知りであった。
水取司は「これから吉備に帰るのでしばしのお別れだ。先ほど熊野の岬からお帰りになられた后の船を見かけたが后は帝が八田若郎女を召し昼も夜も戯れに遊んでいるのをご存じだろうか。」と倉人女に告げた。
この話を聞いた倉人女は水手を急がせて后の船に追い付き難波津に着くと直ちに后の船に急ぎ児島の人夫の話を包み隠さず申し上げた。
后は帝を恨み、怒りを顕わにして摘み取ってきた御綱柏の葉を海に投げ入れよと命じ一葉も残さず尽く海に投げ入れてしまわれた。
そして、皇居に帰らず御船を曳かせて難波の堀江から鵜河(淀川)、山代川(木津川)を遡り山代の筒木(京都府綴喜郡)の韓人、奴理能美の館にお入りになった。
しばらく滞在すると聞かされた奴理能美は急ぎ筒木の岡の南に宮を造営する事とした。この宮を筒木宮と称した。
帝は后が難波津に帰り着いたと聞き、急いで難波津に赴いたが后は去った後であった。行き先を探さすと后は山代に向かったと聞き、舎人の鳥山に後を追わせ、山代の奴理能美の館に滞在していると解った。
冬十月、帝はほとぼりもさめ后の気持ちも鎮まったであろうと思い迎えの使者を遣わす事とした。誰が良かろうかと考え誠実な口持臣なら后を説得するであろう、都合の良いことに口持臣の妹が后に仕え信頼が厚いと聞く。帝は口持臣を遣わして后をお迎えに行かせた。
口持臣は山代の筒木宮に着いて后に帝の口上をお伝えしたいと取次を乞い、庭先に平伏して后のお越しをお待ちしたが一向にお出ましにならなかった。
しばらくして雨が降り出し口持臣はずぶ濡れになっても平伏したまま昼夜を重ねて待ち続けた。
后のお側に仕える妹の国依媛は寒さの中、濡れた衣のまま庭に平伏する兄の姿を見て涙を流した。その姿を見た后は国依媛に「なぜ、お前は泣いているのか」とお尋ねになった。
国依媛は「今、庭に伏して雨に濡れても避けず、昼夜を重ねて伏しているのは我が兄でございます。哀れな姿を見て涙がこみあげました。」
后は「そうであったか、それならお前の兄に伝えなさい、私は皇女とご一緒に、后として帝にお仕えしようとは思いません。二度と宮中に帰りませんから早く都に帰りなさいと。」こうして、口持臣は后に会う事が叶わず都に立ち帰り、帝に后のお言葉を奏上した。
冬十一月、帝は川船を曳かせ山代の筒木宮に向かわれた。筒木宮に入られ后をお呼びになったが后は強く拒まれお会いする事が出来なかった。そして、后は侍女を遣わして申し述べた。「帝は八田若郎女を召して妃とされました。私は皇女とご一緒に、后として帝にお仕えしようとは思いません。どうか都にお帰りください。」とけんもほろろに追い返された。
帝は八田若郎女を愛しいと想っていたが后の怒りを解くためには致し方なく御名代(私有部民)として八田部を定められ八田若郎女を宮中から下がらせた。こうして后の石之媛は都にお帰りになられた。
それから数年後、帝は再び浮気の虫が騒ぎ八田若郎女の妹、女鳥王を見染め妃に召し出したいと想った。異母弟の隼別皇子に仲立ちを頼み女鳥王に我が意を伝える事を頼んだ。
隼別皇子は帝の申し出に内心、驚きを覚えた。なぜなら異母妹の女鳥王とは互いに心を通わせいずれ帝の許しを得て妻に娶りたいと思っていた。
帝の申し出に女鳥王とはすでに通じ合っており帝の許しを得て我が妻に迎える所存であると伝えるべきであったが言い出せぬまま苦渋に満ちた役目を引き受けてしまった。
隼別皇子は思い悩んだ。嫉妬深い后の石之媛が承知するはずも無い八田若郎女も后の怒りに触れ宮中を下がった。女鳥王を妃に迎えるとは帝の本心とは思えなかった。
帝は皇位継承の朝議の席で菟道稚郎子の即位に賛同した事を未だに根に持っているのか、それとも女鳥王が兄の菟道稚郎子の死に疑いを抱いている事を聞き知って、我らの仲を知りながらそしらぬ顔で仲立ちを頼んだのは口実を設けて我と女鳥王の二人を亡き者にする謀略ではなかろうかと疑心暗鬼になった。
悶々とした日々を過ごし、女鳥王を諦めざるを得ないと観念したが帝のお召をどの様に伝えたものか思い悩んだ。あの時、即座に帝に申し上げるべきであったと悔やみ続け帝を恨んだ。伝えるべき言葉も浮かばず暗澹たる数日を過ごし、意を決して女鳥王の館を尋ねた。
女鳥王は尋ね来た隼別皇子の様子が何時もと違う事に気付き不安が過った。
隼別皇子は悲痛な面もちで「二人の仲は引き裂かれる事になった。今日が今生の別れに為ろう。」と唐突に切り出した。
女鳥王は何事かと驚き、隼別皇子が錯乱したと思った。理由を聞こうと室に招き入れ、気を鎮めさせて詳しい事情を問いただした。
隼別皇子は苦渋に満ちがっくりと肩を落とし握りしめた拳が微かに震えていた。女鳥王は隼別皇子の身に大変な事が起こったと感じ、微かに震える手をそっと握りしめた。
隼別皇子は女鳥王の手を強く握り返し苦渋に満ちた表情で帝の思し召しを伝えた。
女鳥王は思いも拠らぬ話しに暫し言葉を失ってじっと隼別皇子の顔を見つめ涙が頬をつたった。
黒姫が味わった耐え難い屈辱の日々、玖賀媛の悲しい最後、それに后の嫉妬から宮中を下がらされた姉の八田若郎女の事を思い、我が身の不運を嘆き悲しんだ。
后の許しを得ていないのは明らかであったが帝のお言葉は絶対であり、独り身の女鳥王には辞退する方策は無かった。
女鳥王は使者に立った隼別皇子に懇願した。「帝の妃となって后の反感を買い一生、耐え難い苦しみを味わって牢獄に繋がれるよりは心を通じ合った貴方様の妃となって安寧な日々を送りたいと思います。今、帝のお召しを聞いて思い余って申し述べるのでは有りません。以前から貴方様を愛しく想っておりましたが我が思いを伝えられずに日を過ごしておりました。願わくは帝のお召しをご辞退し貴方様の妃に迎えて頂きたい。」
女鳥王は心の内を切々と訴え隼別皇子の妃となる事を願った。隼別皇子も女鳥王を愛しく想っており、いずれ妃にと思っていた矢先に切々と衷情(心の内)を訴えられ、涙が溢れそうになった。
女鳥王は涙を拭い居ずまいを正し床に平伏して使者の隼別皇子に告げた。「すでに意中の皇子と契りを交わしました。又、聞くところに拠れば后は嫉妬心が強く妃としてお仕えする事は忍従に耐え難いと思います。願わくは我を想念の内から消し去り他の媛をお召し願いたいと存じます。」隼別皇子は女鳥王の手を取り「心は通じあった、帝に申し述べて許しを請う。」と語った。
隼別皇子は帝に申し出る時期は既に逸している事を充分承知していたが女鳥王を傷つけたくなかった。己の不甲斐なさから女鳥王を不幸に巻き込んだ事を心の内で恥じ、仲立ちの役目を打ち捨てる覚悟を決めた。
今宵から皇子の地位も捨て去り女鳥王と暮らす事を夢見た。女鳥王は帝の許しを得るとの言葉に安堵し、その夜、隼別皇子は帝の咎を覚悟して契りを結んだ。
帝は日を待てど隼別皇子が復命(命令を果たし報告する事)せず、怒りを感じたが責める事はしなかった。隼別皇子が復命出来ない何かの事情が有るのであろうと思い、自ら女鳥王の館を訪ね心情を問う事とした。
帝は后の手前、狩りに出掛けてその帰りに女鳥王の館を尋ねる事とした。そして、狩りの帰りに「喉の渇きを癒したい。」と供の者に告げ女鳥王の館を尋ねた。
女鳥王は帝の突然の来駕に驚き、身を縮めて出迎え、室に招じ入れて井戸から汲み上げた冷水を椀に注いで差し上げた。帝は一気に飲み干し「甘露である」と云って女鳥王の言葉を待った。
帝は女鳥王が「お召しいただき有難き幸せです。」と礼を述べると思っていたが女鳥王は平伏したまま一向に礼を述べなかった。
女鳥王はどの様な咎めも受け、どの様な沙汰が下っても静かに受ける覚悟で帝の仰せを待った。しかし、帝のお声が無いので女鳥王は沙汰が下る前に我が想いを帝に申し上げ様と思い頭を床につけて「申し上げたき事が御座います。」と帝の許しを乞うた。
そして、両手を床につけて申し述べた。「昔より隼別皇子を慕い愛しく想っており、すでに契りを結んでおります。此度のお召し、畏れ多い事と存じますが何卒お許しの程願い奉ります。」と帝に告げた。
聞き終えた帝は一言も発せず席を立ち館を辞した。女鳥王は何の咎もなく不審に思った。
帝は落胆し隼別皇子を恨みに思い館に帰った。いずれ復命した時は罪を問い恨みを晴らす日を待つ事にした。
数日の後、隼別皇子が女鳥王を訪ねると、女鳥王は晴れやかな顔で隼別皇子に語り始めた。「帝が狩りの帰りに喉が渇いたと我が館を訪れましたので良い機会と思い帝に昔より隼別皇子を慕い愛しく想っており、すでに契りを結んでおります。此度のお召、畏れ多い事と存じますが何卒お許しの程願い奉ります。と申し述べた。」
隼別皇子は不思議に思った。帝に復命しない咎を責められる事も無く日は過ぎた。帝も素知らぬ顔で仲立ちの依頼は無かったかの如く平然としている。この事が隼別皇子の心に痼と為って残った。
帝に女鳥王を娶る許しを願う機会も逸した。何れ時が経てば許しを乞う機会が再び訪れるで有ろうと思い腹を決めた。
それからしばらくして女鳥王の館での出来事を誰が漏らしたのか都で密かに噂が流れていた。隼別皇子は帝が見初めた女鳥王に横恋慕して奪ったそうな、流石に隼は鷦鷯(雀より小さいミソサザイの事)より素早い。
更に噂に尾鰭が付いた。「女鳥王は帝を謗り鷦鷯より隼の方が好きと告げたそうな。」そして、女鳥王は「同じ応神天皇の皇子であり隼が皇位に就いても何の不思議も無い、いっそ、鷦鷯を食い殺し皇位に就いては如何か。」と隼別皇子が皇位に就く事をそそのかした。
「帝も見初めた女を寝取られたのに鷦鷯の如く小さくなっている。それに引き替え隼別皇子は御名の通り天を切り裂く様に素早く、館に留まれば泰然として気品が有り、獲物を見て挑み掛かる精悍なお姿は帝も適いますまい。皇位は隼別皇子にお似合いです。」
女の告げ口は尾鰭が付き留まる所を知らなかった。噂は噂を呼び、隼別皇子と女鳥王が二人して皇位を窺っている話しに発展した。
この噂話を后の侍女が聞き付けまことしやかに后に告げた。「女鳥王が申すには、后は嫉妬深く、あまたの妃は后を怖れ宮廷は住み難く、后は帝の権威を傘に着て妃を下女の如く扱っている。帝も鷦鷯の如く小さくなり、后の機嫌を取り持ち心安らかでない。それに引き替え隼別皇子は御名の通り天を切り裂く様に素早く、館に留まれば泰然として気品が有り、獲物を見て挑み掛かる精悍なお姿は帝も適いますまい。皇位は隼別皇子にお似合いです。」
后は耳にした噂を帝に告げ「速やかに隼別皇子に兵を差し向け除かねば群臣と語らい謀叛を企てる。」群臣も噂の真偽も確かめず「速やかに隼別皇子に兵を差し向け除かねば朝廷に不満を持つ皇子、豪族と語らい謀叛を企てる。」と帝に進言した。
帝も噂を信じていなかったが隼別皇子が復命しなかった事を恨み機会を窺っていた。又、大山守皇子の謀叛に隼別皇子も加担していたのではないかと疑いを持っていたが大山守皇子が死んだ今となっては、証拠は掴めなかった。
女鳥王も兄、菟道稚郎子の死に疑いを抱いている。二人を殺す大義は立った。群臣の進言を好機と捉え、吉備雄鮒と播磨佐伯直を召して「隼別皇子が反逆を企てているとの報せがあった。謀叛を企てた二人を捉えて殺せ。」と命じて二人に兵を授けた。
お側にいた后が言葉を添えた「女鳥王は重罪人とは言え皇女である、身につけている衣や玉を奪ってはなりません。」こうして帝は隼別皇子の館に兵を差し向けた。
隼別皇子と女鳥王も噂を耳にして気を揉んでいたが噂を打ち消す術は無かった。館に籠もり嵐が過ぎ去るのをじっと待った。何れ噂は立ち消えるで有ろうと高をくくっていたが噂は一向に収まらなかった。このままでは危難が及ぶ事を覚悟しなければならない事態となっていた。
二人は帝に直訴する道を探ったが容易に理解が得られるとは思えなかった。当初から帝が仕組んだ罠であったかも知れなかった。噂は真実味を帯びて語られ、密かに叛乱の誘いもあった。館を窺う監視の目も度々見た。二人は世を避けひっそりと暮らしていたが噂がそれを許さなかった。
隼別皇子と女鳥王は兵馬の響きに気付き一抹の不安を感じた。家宰の知らせで帝が兵を差し向けた事を知った。馬蹄の響きが近づき、家宰に促されて伊勢に逃れる道を選んだ。
家宰は二人が馬で去った後、家人の全てを立ち退かせ一人館に留まった。二人は急ぎ馬を馳せて二上山の南麓、竹内峠を越え伊勢国を目指し倉梯山(奈良県桜井市と宇陀市の境に有る音羽山、標高八五一メートル)を越え菟田(奈良県宇陀市)の地に逃れた。
吉備雄鮒と播磨佐伯直は隼別皇子の館を囲んだが、館は静まり返り物音一つしなかった。二人は逃げられたと感じ、家人に行き先を問い糺そうと門を破り館に乱入した。
思った通り館は家人も逃げうせもぬけのからであった。一人残った家宰を捉え行方を問い詰めたが黙して語らなかった。拷問を加えたが平然と耐え口を開かなかった。
雄鮒と佐伯直は剛毅な態度に業を煮やし兵に命じて首を刎ねた。なを、館を探索すると納屋の隅でうずくまる侍女を見つけ二人の行方を問い質すと伊勢に逃れたと告げた。
二人は兵を率いて竹内街道を東に向かい倉梯山を越えて菟田の地で二人が東に去ったと知り馬を馳せた。そして、山を越えれば伊勢に至る菟田の曽爾(奈良県宇陀郡曽爾村)で追い付いたが二人は草に隠れて難を逃れ、山を越えて伊勢に至った。
雄鮒と佐伯直は曽爾の山を探索したが見つからず、逃げられたと気づき急いで馬を馳せ伊勢の蔣代野(三重県津市白山町北家城?)で追い付き、捕えて罪人の如く扱い二人に縄を掛けた。
佐伯直は兵に引き立てられる女鳥王の腕に巻かれた腕輪に眼が止まった。その腕輪は高価な玉で作られた、今迄に手にした事も無い高価な腕輪であった。佐伯直は死を迎える姫に最早必要はなかろうとうそぶきその腕輪を無理やり奪い取った。
そして、罪人の如く縄を掛けられた隼別皇子と女鳥王を廬杵川(雲出川)の河原に引き立て二人の首を刎ねて復命した。
この年、新嘗の祭りの時、佐伯直の妻が身につけている玉の腕輪が評判となり、后の石之媛は佐伯直の妻を近くに召し身につけている腕輪を見ると、その腕輪に見覚えを感じた。
その腕輪は女鳥王が身に付けていた腕輪に良く似ている事を思い出し、帝に「あの者が身に付けている腕輪は女鳥王が身に付けていた腕輪と良く似ている。」と告げた。
帝は日を改めて佐伯直を召し出し「そなたの妻が身につけていた腕輪は非常に珍しい玉で作られた腕輪であったそうな、何処の誰から入手したのか?」と問い掛けた。佐伯直は恥じ入り地に伏して女鳥王から奪った事を申し述べ許しを乞うた。
帝は臣としてあるまじき行いに激しい怒りを覚えた。罪人とは云へ女鳥王は皇女である。身に付けている衣も玉も奪ってはならぬと命じたにもかかわらず、無理遣り奪った行いは許し難いと思った。そして、激情に駆られた帝は地に伏す佐伯直に死罪を申し渡した。
同席した群臣は帝の余りに重い裁可に驚き、日を改めて減刑を願い出た。「腕輪を奪った佐伯直の罪は許しがたいが二人を捕らえた功も有ります。死罪は極刑であり、余りに厳しい裁可と存じ奉ります。佐伯直も己が犯した罪を恥じ所領を献上して許しを乞う事を願っております。何卒、罪を減じ願い奉ります。」と奏上した。帝も激情に駆られて裁可を下した事を恥じ群臣の裁きに委ねた。
女鳥王の事件が有った後も帝は后の眼を盗んで女漁りを止める事はなかった。后の石之媛の手前さすがに妃に迎える事は無かったが、巷の噂に上る姫を召し出し一夜の情を交わした。
嫉妬深い后はその度に言い知れぬ激しい怒りの感情に襲われた。激情は不信に変わり帝と顔を会わすたびに帝をなじり疑いを募らせた。
帝はその様な后が疎ましく、会う事を躊躇い褥を共にする事を避けた。帝の女色は止まず后の石之媛に一言も語らず異母妹の莵道稚郎女を妃に迎えた。
再び皇女を妃に上げた帝の仕打ちに后は激しい怒りを感じ激情が渦となって躰を駆け巡った。怒りは極限に達し日々、帝を怨んだ。怒りと怨みと遣る瀬無い気持ちをどうする事も出来ず悩み塞ぎ込み心労が絶えなかった。
思い悩んだ末に后は帝に顧みられる事の無い我が身に落胆し心の安静を求めて山代の筒木宮に隠れ住んだ。筒木宮に移り住んでも帝の仕打ちに怒りが込み上げ心の休まる事はなかった。心のゆとりを無くした后は心労から食も細り日増しに痩せ細った。鏡に映る艶やかな肌を失った我が身を見ては嘆き哀しんだ。
何時まで待っても筒木宮から帰らないのが気掛かりになった帝は再び口持臣を遣わして后の説得に当たらせたが、后は口持臣の目通りを許さず会おうともしなかった。口持臣は昼夜を分かたず風雨も厭わず殿舎に上り平伏してお目通りを願ったが后は現れなかった。
帝は復命した口持臣の口上を聞き、思い余って自ら后を迎えに筒木宮に赴いたが、それでも后は帝に会う事を拒み続けた。
この後、后の石之媛は帝を許す事が出来ず怨みを飲み嫉妬に狂い病を得て亡くなった。帝は后が崩じたと聞かされても哀しみを顕わさず涙も見せなかった。
帝は石之媛の嫉妬に懲り形ばかりの妃、八田若郎女を后とされた。后となった八田若郎女は帝と褥を共にすることを拒み敢えて子を生さなかった。
八田若郎女は侍女に石之媛の逆鱗に触れて国元に追い返された吉備の黒姫のその後を尋ねられた。侍女は吉備に探索の使いを遣り、黒姫を探させた。黒姫は吉備の佐伯命の元に身を寄せ帝の姫を密かにお生みになっていた。
報せを受けた八田若郎女は大層お喜びになり、帝の姫が健やかに育つようにと田と倉を与え、その姫に矢田姫の名を授けた。