イタリア紀行

ロミオとジュリエットの舞台ヴェローナ

 翌朝、ヴェネチアを後にしてミラノに向かった。バスの車窓からドロミテ・アルプスの峰々が見えるはずであったが生憎、小雨降る曇り空で視界は開けなかった。途中、ヴェローナの街に立ち寄った。

 ヴェローナは一二六〇~一三八七年までデッラ・スカーラ家(スカリジェレ家とも呼ばれる)が独裁君主として君臨しヴェローナの黄金時代を築いた。

 ミラノのスカラ座もスカーラ家からミラノ君主ベルナボ・ヴィスコンティに嫁いだレジーナ・デッラ・スカーラに因んでテアトロ・スカーラと名付けられた。

 ヴェローナのスカーラ家はミラノと結び、パドヴァの領主ダ・カッラーラ家はヴェネチアと結んで互いに抗争を繰り返していた。しかし、ミラノの領主、ベルナボがジャン・ガレアッツォに殺され事態は一変した。

 ヴェローナとパドヴァの抗争にジャン・ガレアッツォはパドヴァに味方してヴェローナを攻め、返す刀でパドヴァも攻め落とした。しかし、ジャン・ガレアッツォの死と共に両家は息を吹き返し再び抗争を始めた。 ロミオとジュリエットの舞台ヴェローナ、アーディジェ河、イタリア

 パドヴァがヴェローナを陥落させたと知ったヴェネチアはヴェネット州を領有する好機と見てヴェローナを攻め、パドヴァも陥落させてヴェネット州を領有した。

 アルプスに源を発しヴェローナの街をS字型に蛇行するアーディジェ河はイタリア北部に降った豪雨の影響か土砂を含んだ濁流が轟々と流れていた。

 車窓から見るヴェローナはヴェネチアと異なり豊かな緑に恵まれた静かな街であった。バスを降りてアーディジェ河沿いの道を歩きこの街に立ち寄る観光客が必ず訪れるジュリエットの家を見学した。

 訪れたジュリエットの家はシェクスピアが創作した「ロミオとジュリエット」のモデルとなった貴族の娘ジュリエットが暮らした館と云われている。(シェクスピアはヴェローナを訪れなかった) ロミオとジュリエットの舞台ヴェローナ、ジュリエットの家、イタリア

 大邸宅を想像していたが拍子抜けするほど小さなごく普通の館であった。館の二階には蔦の絡まるバルコニーが有り、中庭にはジュリエットの像まで有った。

 像の右手と右の乳房に触れると、「幸せな結婚が出来る」と言い伝えられており、訪れる観光客に触れられてピカピカに光っていた。郊外にはジュリエットの墓まで作られているとの事。

 驚いたのはこの館の壁面が手の届く限りの高さまで落書きで埋め尽くされていた。多分、世界中の観光客が訪れ若いカップルが記念に書き記したので有ろうか、署名とおぼしき落書きが壁面に隙間無くびっしりと書き込まれ、まるで抽象画を見る様であった。ここまで書きこめば落書きも芸術作品の趣があった。

 ジュリエットの家から少し歩いた所にヴェローナの君主スカーラ家代々の廟があった。鉄柵の外から眺めガイドの説明を聞いたが在り来たりの説明で興味をそそらなかった。

 シニョーリ広場にはヴェローナに滞在した詩人ダンテの像があった。ダンテ・アリギエーリは一二六五年、フィレンツェに生まれヨーロッパ最古の大学、ボローニャ大学で修辞学、哲学、法律学などを学んだ。

 一二八九年、フィレンツェとアレッツォ(フィレンツェ南東の都市)が争ったカンパルディーノの戦いにダンテも参加し、フィレンツェが勝利を収めた。

 戦争が終結するとダンテは政治活動に没入した。当時のフィレンツェは白派と黒派に分かれ政争を繰り広げていた。ダンテは白派に属し派閥の中枢にいた。

 しかし、一三〇二年、黒派が白派を圧倒して政変が起こり、敗れた白派のダンテは国外追放の憂き目に遭い、その後、火刑が言い渡された。

 ダンテは急遽、妻子を伴いフィレンツェを抜け出して放浪の生活が始まった。ヴェローナの領主、スカーラ家に招かれヴェローナにも滞在し、ダンテはイタリア各地に足跡を残している。

 一三一七年、ダンテはラヴェンナの領主のもとに身を寄せ有名な「神曲」をこの地で書き上げ、ラヴェンナで五十六歳の生涯を閉じた。 ロミオとジュリエットの舞台ヴェローナ、シニョーリ広場、イタリア

 通称ダンテ広場とも呼ばれるシニョーリ広場の周りは中世の建築物に囲まれ歴史の深さを感じさせる広場であった。

 現在も市庁舎として使われているラジョーネ宮殿が有り、ランヴェルディの塔が高く聳えていた。

 一方、程近くに有るエルベ広場は一転して庶民の生活を感じさせる活況に溢れた広場であった。広場の成り立ちもエルベ広場は古代ローマのフォロ(公共広場)であり、シニョーリ広場はさしずめ王宮前広場と云った所か。

 エルベ広場もシニョーリ広場と同じ様に歴史を感じさせる古い建物に囲まれた広場であり、広場を囲む中世の建物は元商館であったとの事。

 広場の中央には「ヴェローナのマドンナ」と親しみを込めて呼ばれる彫刻が有った。しかし、「ヴェローナのマドンナ」の周りは青空市場でテントを張った露店がひしめき合って所狭しと立ち並んでいた。 何となくマドンナの像が場違いに感じられた。 ロミオとジュリエットの舞台ヴェローナ、アレーナ、イタリア

 少々時間も有りテントを連ねた露店を散策した。衣料品、革製品、雑貨、食料品、果物、野菜、等々様々な商品を所狭しと並べ店の境目も無く、まるで戦後の闇市の如き活況を呈していた。

 エルベ広場からアレーナまで静かな佇まいのヴェローナの街を散歩気分で歩いた。ヴェローナのアレーナ(円形競技場)は古く、古代ローマ時代の一世紀頃に建てられた。

 アレーナは二層のアーチを積み重ねほぼ当時の姿を留めているとの由。今も七、八月にはこのアレーナでオペラを上演しているとの事、観客は古代ローマにタイムスリップした気分に浸る事であろう。


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