イタリア紀行

風光明媚なリゾート地ソレント

風光明媚なリゾート地ソレント、イタリア  ポンペイからおよそ三十キロ、イタリア有数のリゾート地であり、「帰れソレントへ」のカンツォーネでも有名なソレントに向かった。

 バスはソレントの街を見下ろす高台に停車し、トイレ休憩を兼ねて寄木細工の工房に案内された。 多分、箱根の寄木細工と変わらないであろうと余り興味は無かったが暇つぶしに覗いて見ると、素晴らしい作品の数々であった。 

 薄くスライスした板から様々な文様を切り取り、着色して家具やオルゴールに埋め込む信じられない様な繊細で根気の要る工程の一部を見た。

 今は板のスライスと文様の切り取りに工作機械を導入していたが昔は職人技で切り取っていたと思うとその技術に感嘆した。

 これらの工芸技術はこの地を一時支配していたアラブ人によってもたらされ、イタリア人のたぐいまれなセンスと融合して華やかで気品の有る家具や調度品に発展したと思える。 

 工房の駐車場からナポリ湾を見下ろすと真っ青な海が広がり石灰岩の白い岩肌が一層白く輝いていた。

 ソレントの街は海岸から切り立った絶壁の上に広がる丘陵地帯に有り、前方には青々とした紺碧の海が広がり、海岸線は断崖が何処までも続いていた。 

 木々の間に白い家屋が点々と立ち並びまるで箱庭を眺めている様な風景であった。遠くの海に目をやると水平線の当たりが黄ばんでいた。

 ツアーの仲間Mさんが疑問に思い添乗員に質問を投げ掛けると、遠くサハラ砂漠から風に乗って運ばれた黄砂との事。そう言えば昨日も今日もサハラの熱風のせいか真夏を思わす暑さであった。 

 寄木細工の工房を後にしてカーブの多い坂道を下り、訪れたソレントの街は緑が多くナポリの喧騒とは打って変わって静かで落ち着いたリゾート地であった。車窓から眺めた教会もどこかイスラムの教会を思わす風情があった。 

 宿泊したホテルはさほど大きくはないが玄関まで木立を縫って長いアプローチが有り、五つ星の高級ホテルであった。

 ホテルはソレント半島の断崖の上に在り、広いテラスからナポリ湾が一望に見え、右手には遠くヴェスヴィオ火山を望み、前方には明日訪れるカプリ島が黄砂の帯の上に浮かんで見えた。

 日本で云えばさしずめ景勝地の絶景を臨む老舗の旅館であろうかテラスからの眺めは格別であった。

 ホテルに一歩足を踏み入れると廊下も階段も板張りで各階の廊下には趣の異なった絵画を飾り、階段の踊り場の壁にはフレスコ画が描かれていた。 風光明媚なリゾート地ソレント、イタリア

 階段の踊り場には年代物の椅子とテーブルがさり気なく置かれていた。各部屋のドアの上にも部屋毎に異なった絵画が飾られていた。 

 受け取った部屋のキーは古い土蔵の鍵の様に大きくおまけに文鎮の様に重い部屋番号を記した飾りが着いていた。部屋番号を確かめ、貴族の館も斯くやと思える様な階段を上り部屋に向った。 

 部屋のドアを開けようとしたが古い形のキーの為か、想像以上に重いドアであった故か、中々ドアは開かなかった。やっとドアを開けて部屋に入ると素晴らしい調度品が据えられ、照明もシャンデリアが吊るされていた。 

 部屋は少し狭かったがシティーホテルとは又、一味違った安らぎを覚える部屋であった。古めかしい雨戸を開け放ったが海は少ししか見えなかった。

 海に面してテラスの有る最高級の部屋は長期滞在の富豪に占有されているのか、それともホテルの名前を看板にした一泊のツアー客には本来、高値の花のホテルで有ったのか、宿泊した部屋からはナポリ湾の絶景は見えなかった。 

 部屋でしばらく、くつろいだ後、夕食の時間が迫ったのでエレベータで一階に降りる事とした。

 エレベータは年代物で数人(四人?)しか乗れず二重扉でしかも手動で開閉する古さであった。 

 レストランで夕食を済ませた後、一筋のメインストリートを散策したが端から端まで歩いても十五分程の小さな商店街に過ぎなかった。

 通りには赤や青のネオンは無く、煌煌こうこうと電灯を灯した商店が軒を連ねていた。(イタリアではネオンも蛍光灯の照明もほとんど見掛けなかった)


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