イタリア紀行
地中海の楽園カプリ島
翌朝、出発に合わせてホテルのボーイがスーツケースを受け取りに室を訪れ、礼を述べてスーツケースを二個手渡した。
出発の時間には早かったがロビーに下りてテラスからナポリ湾の眺めを楽しもうと例の年代物のエレベータに乗り込むとスーツケースが一つ放置されていた。
驚いて良く見ると先ほど手渡したスーツケースの一つであった。ボーイが運び忘れたのか無人のエレベータの中に置き忘れられていた。
一階に着いてもボーイは居らず、仕方なく我々ツアーのスーツケースが集められている玄関先の場所に運び込んだ次第。
少々、時間も有り、ソレントの海を眺めて過ごし、添乗員に促されて広いテラスの片隅に有る小さなエレベータに乗って海岸に降りた。そこがカプリ島に渡る港であった。
港から見上げるとホテルは二~三十メートル以上も有る切り立った断崖の上にあった。断崖の上には中世の都市国家の名残で有ろうか城壁があちこちに残っていた。
港には夜の散歩の折りにも余り見掛けなかった観光客が何処から集まって来たのか、人波でごった返していた。
船に乗り込みしばらくすると出帆の合図もアナウンスも無く何時の間にか動き出し、二十分ほどでカプリ島に着いた。
カプリ島の港で小型のボートに乗り換え紺碧の海を青の洞窟目指してレースが始まった。洞窟に入るのは到着順との事、我々の乗ったボートは島に沿ったコースを取って船を走らせたが前を行くボートを追い越せなかった。青の洞窟の前に次々とボートが到着し、船長はエンジンを止めて洞窟の様子を窺っていた。
その日はかなりの波が有り海水面も高かった。ボートから見た洞窟の入り口は小さく、波が打ち寄せると洞窟の入り口は波間に沈んだ様に見えた。
偵察の小船が洞窟の入り口に近づいたが直ぐに引き返してきた。ガイドは波が高く一時間ほど波が納まるのを待つと我々に告げた。
しばらく波に揺られていると最初に到着したボートは待ち切れずカプリの港に引き返していった。
それから二十分近く待ったで有ろうか、突然、小船が近づき大声で何か叫んでいた。
ガイドから何とか洞窟に入れそうなのでこれから三人づつ小船に乗り移って洞窟に向かうと告げられた。
そして洞窟に入る注意事項として、洞窟の入り口は狭く波の沈み込みを利用して洞窟に入るので頭を打たない様、ガイドの合図で船底に伏せるようにと我々に告げた。
揺れ動く船に足元をふらつかせて小船に乗り移るとガイドの青年は小船の中央に立って力強くオールを漕ぎ洞窟の入り口に向かった。洞窟に近付くと小船は押し寄せる波と打ち返す波に翻弄され前後左右に揺れに揺れた。
ガイドの青年は洞窟の直ぐ前で小船を止め、船底に横になれと告げた。ガイドの青年は大波の後に来る大きな沈み込みを待って洞窟に張られた鎖を一気に引き、我々の上に覆い被さって来た。
ガイドの青年が立ち上がり洞窟の中に入ったと解ったが、漆黒の闇で目が慣れるまで何も見え無かった。
洞窟の中は外の荒海と打って変わって穏やかな海面が広がり波の音も無く、船に乗っているのを忘れる程、波は静かであった。
しばらくして、目が慣れ洞窟の入り口の方を見ると差し込まれた光に反射して海水がかって見たこともない透き通った青に輝いていた。
海の水とは思えないほど透明で濁りが無く、その輝きはアクアマリンの淡い青さよりも深みが有り、感動につきる清冽な海の青さであった。
それは筆舌に尽くし難く、心に染みとおる不思議な青い海であった。小船が洞窟の中をゆっくりと奥に進むにつれ黒い海が光を受け、しだいに鮮やかな青い海となって広がっていった。
突然、ガイドの青年が素晴らしい声で「オオソレミヨ」を歌い始めた。声量の有るテノールの歌声はドームの様な洞窟の天井に響き渡った。青い海と影絵の様な小船を背景に、高らかに歌い上げるガイドのカンツオーネに感動を覚えた。
早々と去るのは名残惜しいが小船は洞窟を一周して入り口に向かった。先頭の小船は脱出に失敗し次の波を待ち、船体を岩に擦り付けながら辛うじて脱出した。
洞窟の出口は低く波のうねりに没しそうに見えた。ガイドは高波を待ち波のうねりを見極めてヘッドダウンと強く叫び一気に鎖を引いて倒れ込み、小船は無事に洞窟の外に出た。ガイドは洞窟を無事に抜け出せた事を喜ぶかの如くオールを差し上げて喚声を挙げた。
小船を降りる時、危険を冒して青の洞窟に案内してくれたガイドに心ばかりのチップを渡し礼を述べた。青の洞窟を後にして港に帰っても感動は覚めなかった。
添乗員に今日は波を被るかも知れないと告げられカメラをボートに置いて来たのが残念でならなかった。洞窟に差し込むわずかな光に照らし出され、闇の中に現出したあの青い海を写真に撮れなかった事を後々迄も悔やんだ。
この日、洞窟に入れたのは我々一行だけで後のボートは入れなかったと聞かされツアーの仲間と幸運を喜び合った。
カプリ島の玄関口マリーナ・グランデに引き返した。カプリ島はナポリからおよそ三十キロ、ソレント半島の突端から眼と鼻の先にある、長さ六キロ、幅三キロの小さな島で廻りは断崖絶壁に囲まれている。
街は丘の上に有り、港からバスに乗りカプリの街に向った。道は断崖絶壁に作られた一車線の曲がりくねった道であった。車窓から道は見えずはるか下に紺碧の海が広がっていた。
丘の上の街は各国のツアー客で賑わいを見せ、狭い石畳の通りには有名なブランド店やしゃれたカフェが軒を連ねていた。
時間もたっぷり有り、レストランで食事を済ませ、我々も外国の観光客に混じってカプリの街を散策した。
通りにはグッチ、フェラガモ、カルティエ、エルメスと云ったブランド店が徒歩十分以内の狭い範囲にびっしりと建ち並んでいた。
ここ、カプリでも午後二時を過ぎると観光客で賑わっているのもお構いなくシャッターを閉ざす店をあちこちで見かけた。
表通りは観光客の人波が引きも切らず行き交っていたが、裏通りの細い路地に一歩足を踏み入れるとパン屋、雑貨屋、果物屋と表通りの華やかさとは打って変わってそこは下町の風情があった。
細い路地を行き交う人々がチャオと言葉を交わし、まるでイタリア映画の一場面に居るようであった。
時間も有り、適当な土産物を探し求めてかなり大きな店に入った。その店の一角に昨日見学した寄木細工の工芸品が並べられていた。
土産に良さそうだと思いオルゴールや額縁を品定めしながら店内を巡っていると寄木細工の家具が目に入った。
良い家具を見つけ目の保養にと思い妻を呼び寄せると、妻はその家具を見て目が点になりその場を立ち去ろうとはしなかった。
妻の気持ちを察しイタリア旅行の記念にと値段の交渉をした。交渉が成立しクレジットの書類にサインを求められた時、一抹の不安を感じたが清水の舞台から飛び降りる気持ちでサインした次第。 家具は予定より早く、帰国後、十日程で無事に到着した。
カプリの街からケーブルカーで港に降り、カプリ島からおよそ一時間半ほどの船旅でナポリに向かった。
少々、疲れていたのか船内でうたた寝している間にナポリに着き、海上から眺めるナポリ湾を楽しみにしていたがアナウンスも無く見逃してしまった。