イタリア紀行

ナポリからフィレンツェへ

ナポリからフィレンツェへ、ユーロスター、イタリア  ナポリからユーロスターに乗ってフィレンツェに向かうべく港からナポリ中央駅までバスに乗り込んだ。バスの中で、添乗員が申し訳けなさそうに我々に告げた。

 会社が予約したユーロスターの座席番号を調べた所、一組だけどうしても席が離れるので新婚さんを除いてくじ引きで決めたいと我々に了解を求めた。

 妻がくじを引いた所、案の定、くじ運の悪い妻がその席を引き当ててしまった。通路を挟んだ席で有ろうと思っていたが手渡された座席番号を良く見ると車両番号も異なっていた。 

 駅に着き大分待ったがポーターは姿を現さず列車の時刻も迫ってきたので致し方なくバスを降り、大きなスーツケースを押して駅の構内に入った。

 ナポリで最も危険な場所と言われるナポリ中央駅の構内には浮浪者がたむろしていた。浮浪者の横をすり抜け改札口に近づいてやっとポーターが現れ荷物を引き渡した。 

 駅員もいない改札口を抜け、妻と分かれて列車に乗り込んだ。受け取った座席番号を探したが日本の新幹線とは異なり座席番号はどの様なルールで振られているのかバラバラであった。

 昨夜、添乗員は会社から受け取ったバラバラの指定券と悪戦苦闘して、ペアが並んで座れる様にセットしたと聞かされていた。

 この座席番号を見て初めて添乗員が話していた事に納得出来た。手渡された座席番号を探しやっと座席を探し当て席に着くと前の席が空いていた。(席は昔の特急と同じ様に四人掛けであった)

 隣の席には映画に出て来そうな端正な顔立ちのイタリア青年が座っていた。斜め前の席に座る温厚そうな老人が微笑みを浮かべて座席に迎え入れてくれた。

 席に着くと次々に席を探す乗客に声を掛けられた。イタリア語で問われ何を言っているか解らず黙っていると老人が二言三言話すと去っていった。

 どうやら、新幹線とは異なり指定券を持っていると優先するが空いている座席が有ればどこに座っても良いらしいと解った。 

 老人は当然私に連れが有ると思い前の席は空いていないと応えてくれたらしいと気が付いた。しばらくすると発車の合図も無く列車は何時の間にか動き出していた。

 空席を探す乗客が来ても老人がこの席は空いていないと告げてくれるであろうと思い前の車両に妻を呼びに行った。 

 驚いた事に前の車両ではポーターの運び込んだ我々のスーツケースが通路に溢れ、列車の揺れに合わせてスーツケースが右に左に動き添乗員が悪戦苦闘していた。

 列車の各車両にはスーツケースを置くスペースが備え付けられていたが、我々の乗り込むのが遅れ、全員のスーツケースを納める余裕は既に無く、納まり切らないスーツケースの処置に添乗員が困惑していた。 

 添乗員に手伝いに来ると告げて妻を探すと、妻は外国人に囲まれた席にぽつねんと一人座っていた。 さぞ心細かったで有ろうと思い遣り急いで妻を自席に案内し、ツアーの仲間に事情を話し添乗員の元に引き返した。

 納まり切らないスーツケースを手分けして我々の車両に移したが、そこにも納まり切らなかった。 座席の上の棚を見ると大きなスーツケースが所狭しと並べられていた。(大きなスーツケースが置ける程の充分な奥行きがあった)

 外国人の旅行者は手慣れたもので棚の空いたスペースを見つけると、大きなスーツケースを一人で軽々と持ち上げて棚に納めていた。

 我々も大丈夫かなと心配しつつ外国人に倣いスーツケースを棚に乗せようとしたが中年の我々には持ち上がらず新婚の若者二人にお任せした。 

 ユーロスターの座席は四人掛けでゆったりとした広さがあり通路も適当な広さがあった。列車の速度は期待外れで日本の特急に等しいスピードであった。

 時にはノロノロ運転が有り、駅でもないのに停車したり、日本のローカル線を最新の車両が走っている感じであった。 

 乗客は列車の旅を楽しんでいるのか停車して列車が少々遅れても気にも留めず、同席した老人も青年も一度も時計を見なかった。 

 同じ車両に席を占めた団体のアメリカ人観光客はカードを楽しみ、大声で談笑し、かまびすしい限りであった。

 列車の後方に売店は有ったが日本の列車の様にワゴンサービスもなく、車掌の検札もいい加減なものであった。妻は席を変わり心配していたが車掌は微笑んで通り過ぎて行った。 

 同席した老人も青年も検札を受けなかった。どうやら車掌は乗客の態度を見て適当に選び検札している様であった。

 これもお国柄で有ろうか、丹念に一人一人検札する新幹線にどれほどの意味が有るのか考えさせられる。 

 隣りに座るイタリア青年は雑誌を読みながら盛んにペットボトルのミネラルウォーターを飲んでいた。 一リットルのボトルを瞬く間に飲み干し、席を立って(身長百九十センチは有りそうな長身)再びボトルを買い求めてきた。

 そう云えばローマに住む知り合いのイタリア青年も食事中、さかんにミネラルウォーターを飲んでいたのを思い出した。あの時も二リットルのボトルのほとんどを飲み干していた。 

 イタリア人は炭酸ガス入りのミネラルウォータを好んで飲むとの事で有るが、ガス入りは馴染めなかった。

 タバッキ(TABACCHI)でノンガス(ノンガサータ)と云えばガス抜きの普通タイプのミネラルウォーターが購入出来るがノンガスと云わなければガス入りが手渡される。 

 青年が二本目のボトルも飲み干した頃、列車はテルミニ駅(ローマ)に到着した。隣に座るイタリアの青年が立ち上がり、ローマで下車するのか棚から大きなスーツケースをいとも軽々と降ろし、イタリア語で何やら話し、にっこりと微笑んで立ち去った。ローマでしばらく停車し例によって何時の間にか列車は動き出した。 

 ツアーの仲間が時計を見て、そろそろフィレンツェに到着する時間だと気付き手分けして棚から大きなスーツケースを降ろし、若者を添乗員の手伝いに向かわせ下車の準備を整えたが列車は待てど暮らせどフィレンツェに到着しなかった。

 それからおよそ、三十分ほどが過ぎてやっと駅に近付き、駅名のアナウンスも無く夕暮れのフィレンツェに到着した。

 同席していた老人はゆっくりと腰を上げ、イタリア青年と同じ様にイタリア語で何やら話しにっこり微笑んで立ち去った。

 イタリアでは到着を知らす車内アナウンスも構内アナウンスも一度も聞かなかった。ナポリの駅でもローマの地下鉄でもユーロスターの車内アナウンスも一度も耳にしなかった。 

 列車の発車時刻と番線は電光掲示板に表示しているから十分であり、降りる駅は言われなくとも乗客は解っているはずである。

 眠り込んで乗り過ごしたり、盗難に遭うのは乗客の自己責任である、と主張している様に感じた。そう言えば喫煙の度に喫煙車両まで歩いたがうたた寝をした乗客は一人も見掛けなかった。 

 合理的なのか不親切なのか、おおらかなのか、そして不思議な事に駅名に都市名が付けられていない駅が多々有る。

 因みに、ローマはテルミニ駅、ヴェネチアはサンタ・ルチア駅、フィレンツエ中央駅は「サンタ・マリア・ノヴェッラ駅」であった。(多分、フィレンツエ中央駅の駅名は駅正面にある寄木細工の様に美しいサンタ・マリア・ノヴェッラ教会に因んで名付けられたと考えられる。)

 旅行者には駅名に都市名が入っている方が解り易いのだがあえて都市名を使わないのも考え方の相違であろうか。頻繁に車内アナウンスを繰り返して駅名を告げ、煩わしいと思った新幹線を懐かしく思った。 

 フィレンツェのホテルは郊外に在り、昨日泊まったソレントのリゾートホテルとは対照的に設備の整ったシティーホテルであった。

 ボーイも洗練されそつがなく行き届いた応接で部屋も広く申し分なかった。夕食後、部屋に戻り何気なくテレビのスイッチを入れ、天気予報のチャンネルはないかと番組を切り替えていると、ニュース番組でイタリア北部が豪雨に見舞われ川が決壊して大洪水を引き起こしている事を知った。画面では堤防が決壊し濁流が家を押し流し、一面湖と化した街を映し出していた。

 そして次ぎのニュースではイギリスのエリザベス女王がローマを訪れ、大歓迎を受けている様子を映し出していた。

 二日ずれていればエリザベス女王のパレードに運良く行き合わせたかも知れなかったと、映し出されるローマの街並みに懐かしさを感じた。 


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