柳生街道(奈良春日~柳生~笠置)
笠置町(木津川)
山門をくぐった先はH氏の予想通り長い石段が続いていた。石段を下った先から笠置の街まで約一キロ、長い下り道が続いていた。
この時、我々は車道を歩いたが、あれほど地道を歩く事にこだわりを持っていた東海自然歩道に疑問を感じ、この一文を書くに当り「てくてくまっぷ」を再確認したところ、やはり山門の石段を下り切った所に笠置山古道があり、「てくてくまっぷ」にはわざわざ「道標有り分岐注意」との但し書きがあった。我々は残念ながらこの道標を見過ごし車道を歩いてしまったようである。
下り道の林間から木津川の流れが見えた。木津川は青山高原に源を発し、鈴鹿の山の水を合わせ、笠置でおおらかな流れとなり、京都府八幡市で淀川と合流し大阪湾に流れ下る。
戦前まで木津川は水運に利用され、薪炭や米などが笠置橋の辺りに集められ船で京の伏見まで川を下り、帰りは生活用品を積荷にしたとの事。
川の名からして平安の頃、材木を運ぶ為にこの川は重要な役割を果たし、笠置は木の着く港(津)として物流の重要な拠点であったと考えられる。
街中に入り「わかさぎ温泉」に至る道筋を訪ね、教えられた角を曲がると前方は笠置橋であった。この場所に初めて簡易な木橋が架けられたのは明治四十四年の事であった。架けられた木橋は洪水の度に流失の危険にさらされ、大正六年ついに木橋は流失した。
大正八年にコンクリート製の橋に架け替えられたが昭和三十四年の伊勢湾台風の時この橋も流失した。しかし、幸いな事に四年の歳月を掛けて新しい架橋の工事が進められていた。古い橋は流失したが完成目前の工事中の橋は無事であり昭和三十四年、全長二百二十メートルの橋が完成した。
笠置橋で時計を見ると笠置着十五時を予定していたが三十分ほどの遅れであった。無事、全行程二十四キロを歩き終え、ゆったりと「わかさぎ温泉」に入浴して疲れを癒し、湯上がりのビールを楽しんだ。
2001年6月2日