文明の十字路 トルコ紀行

ヒエラポリス

ヒエラポリス 文明の十字路トルコ紀行  パムッカレの石灰棚の上部は広い台地になっている。この台地にヒエラポリスの遺跡が点在している。

 ヒエラポリスの街は紀元前2世紀頃、ぺルガモン王朝の王エウメネス二世によってここに築かれ、紀元前129年、ローマ帝国に統合され、ローマ領の温泉地として発展した。

 1887年、ドイツの研究チームによって本格的な発掘が始められ、現在もドイツ、イタリアの考古学研究チームによって発掘が続けられている。

 ヒエラポリスの街は城壁に囲まれ、城壁の内に円形劇場、浴場、神殿、等々古代ローマの遺跡が広い範囲に点在している。この遺跡を丹念に見るには丸1日かかるとの事。時間も遅く見学できなかったがヒエラポリスの遺跡から出土した品々は古代の大浴場を博物館にして展示しているとの事。

 そしてヒエラポリスの城壁の外側に2キロにも及ぶネクロポリス(死者の都、共同墓地)がある。さまざまな形の石室や石棺が点在しており、古代の共同墓地としてはトルコ最大の規模を誇り、千を超える数が有ると云われている。

 パムッカレはトルコ有数の温泉保養地でもある。今夜のホテルはパムッカレの石灰棚から5キロほど先にある、カラハユット温泉センターのホテル、コロッセアであった。

 このホテルには屋内と屋外に温泉プールが有りテニスコートもあった。部屋は広い敷地内に建てられた別棟であった。

 真っ暗な木立の中を歩いてホテルのレストランに向かった。夜空を見上げると日本では久しく眼にした事が無い満天の星空であった。

 翌朝は6時起床、7時出発。ガイドは六時にモーニングコールしますが多分モーニングコールより先に礼拝の合図「アザーン」が聞こえると思いますと話していた。

 翌朝、5時半に起床しシャワーを浴び、スーツケースをドアの外に出して出発の準備をしているとガイドが話していた通りモーニングコールより早くモスクの尖塔のスピーカーから大音響で「アッラーフ・アクバル」と礼拝を呼び掛ける「アザーン」が聞こえてきた。


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