文明の十字路 トルコ紀行
旅の始まり
12月の初旬、JTBの西トルコを巡るツアーに参加した。パリのドゴール空港を経由してトルコのイスタンブールまでおよそ16時間半の空の旅であった。
13時間の長い長い禁煙を我慢して到着したドゴール空港は零下2度、雪が舞い空港は真っ白であった。
乗り継ぎまで一時間半、迷路のような通路を通り、着いた所は売店も喫茶店も無く、座る椅子も無い閑散とした場所で待つ事になった。ぽつんと一人、椅子に座っている空港の係員に喫煙場所を聞いてみたがもちろん喫煙場所はなかった。時間も十分あったので建物の外に出てやっと一服吸った次第。
ツアーの一行は総勢38名、関空で初対面の挨拶を交わした程度でまだ打ち解けて談笑出来る仲でもなく、ただ時間が過ぎ去るのを待った。
やっと、飛行機に乗り込みイスタンブールまでおよそ三時間半、イスタンブールのアタテュルク国際空港に着いたのは現地時間で23時であった。
トルコと日本との時差はマイナス7時間、フランスで出発時刻を確認するために現地時間に合わせて8時間マイナスしたので、トルコに到着し1時間プラスして時計を現地時間に合わせた。
添乗員から現地通貨に両替を勧められて空港内の銀行に立ち寄った。夜中の23時に銀行が開いている事にまず驚かされた。
添乗員にいくらほど両替したら良いかと聞くと当面5千円ほど両替すれば良いのではとのアドバイスが有り、銀行で40ドル両替すると1,000万トルコリラ札3枚、500万トルコリラ札4枚100万トルコリラ札6枚、合計5,600万トルコリラを受取り、突然大金持ちになった感じで余りのインフレに驚かされた次第。
両替を済ませてバス乗り場に向かうと夜中にもかかわらず空港に現地ガイドのベルマさんが「メルハバ(MERHABA 今日は)」と出迎えてくれた。バスに乗り込み席に着くとガイドのベルマさんから運転手と助手の紹介があった。
運転手のお名前は忘れたがスーツにネクタイ姿の温厚な中年紳士であった。彼は三笠宮様がトルコを訪問された時は何時も運転手を務めているそうである。(三笠宮崇仁親王殿下が「日本・トルコ協会」「(財)中近東文化センター」の名誉総裁に就任している関係で三笠宮家は度々トルコを訪問している。)
三笠宮崇仁親王殿下は1963,86,93年の三度、訪土され、長男の三笠宮寛仁親王殿下は1990,98,二〇〇二年、三年(6月と10月)、4年と6度、訪土されている。
イスタンブールのスルメリホテルに到着したのは午前零時をまわっていた。到着して現地ガイドのベルマさんから翌日のスケジュールの説明があった。
「翌日は5時起床、5時半から朝食、6時に出発しダーダネルス海峡をフェリーで渡りトロイへ、トロイの遺跡を観光し、その後イズミールへ向かいます。・・・」この説明がこの旅の強行軍を告げる最初の説明であった。部屋の鍵を受け取り、シャワーを浴びて就寝したのは午前1時をまわっていた。
翌朝、朝食を済ませバスに乗り込んだがまだ辺りは真っ暗であった。30分ほど走ると薄闇の中にマルマラ海が見え、しだいに夜明け前の明るさとなり7時過ぎに空が赤みを帯びて日の出となった。実に素晴らしい日の出の光景であった。
マルマラ海はヨーロッパとアジアを分かつトルコの内海である。北の黒海とはボスポラス海峡で繋がり、ダーダネル海峡を通じてエーゲ海(地中海)に通じている。
(2005年1月1日にデノミが行われ現在は100万トルコリラが1トルコリラに通過切り下げが行われた。上の紙幣は旅行した時の旧紙幣である。総額3、675万トルコリラ、円貨に換算すると3、281円である。)