大峯山峯入紀行
大天井ヶ岳~蔵王堂
大天井ヶ岳で大休止を取り、百丁茶屋目指して山を下った。台風の影響で大雨に見舞われ登山道が川と化したのか道は深くえぐり取られ、斜面の道は路肩が崩れ、倒木が道を塞ぎ下るのも容易ではなかった。林間に山小屋が見え、下ると小さな広場に出た。そこが百丁茶屋であった。
百丁茶屋は二蔵の宿(宿とは靡の事)とも呼ばれ、大峯奥駈修行の聖地である。熊野から数えて第六九番目の靡に当り不動明王を祀った小さな祠がある。修験者はこの祠を前に真言を唱え経を読んで勤行する神聖な場所でもある。
大峯修験では祈りを奉げる聖地を靡と称し「熊野本宮証誠殿」を第一番の靡とし、吉野川畔の「柳の宿」まで七十五の靡が定められている。
山上ヶ岳は六十七番の靡であり、洞辻茶屋の辺りに有るのか注意せずに見逃したが六十八番の靡が「浄心門」、そして第六九番の靡が「二蔵の宿」である。
ここ「二蔵の宿」から吉野まで七十番「愛染の宿」、七十一番「金峯神社」、七十二番「吉野水分神社」、七十三番「蔵王堂」まで靡を辿って吉野に下る事となる。
山小屋と見えたのは避難小屋であった。奥駈けの行者や講社の一行が利用するのか外には薪が積み上げられ、中に入ると小屋の中は整然と片付けられゴミ一つ落ちていなかった。
板張りの床は十五~六人は泊まれそうな広さが有り土間には昔懐かしい薪ストーブが有った。棚には毛布が備えられ、片隅に飲料水用と記されたポリタンクも置かれていた。
板壁に吊り下げられていたノートを開くと利用者の氏名と共に非常食の明細と補給した日時が記されていた。水は谷に下って汲むのか水場まで四百メートルと記された標識があった。
百丁茶屋を後に、林に日を遮られ薄暗い緩やかな登りが続く道を四寸岩山(一二三六メートル)を目指して歩いた。道のあちこちに古道調査の標識が木に架けられていた。
林間の道は苔生し、あちこちに倒木が横たわり、倒木から若木が伸びていた。林間の薄暗い道を歩き続けると鬱蒼とした樹林に囲まれた小広い場所に至った。
広場は修験者の聖地なのか苔生した岩の上に役行者の像が有り数本の柱が建てられていた。説明板には足摺茶屋跡と記されていた。
相変わらず空を覆う樹木に遮られて薄暗い林間を 四寸岩山への登りが続いた。頂上までもう少しの所に標識が有り、直進すると山頂から新茶屋に至る、左は新茶屋に至る迂回路と記されていた。
標識には迂回路が古道と記されており登りに疲れた我々は迷わず迂回路をとった。山裾を下り小さな谷を越えて山を廻りこむと前方が一気に開けていた。
林を抜けると山肌の木々は一本残さず伐採されていた。本来、杉林の中を縫う様に付けられていた道も木々を伐採した為、道は雨に流されて細り急な斜面では道が崩れガレ場の先に途切れた道が見えた。完伐された斜面の遥か下に本来見えないはずの舗装された林道が目に入った。
林道に沿って山裾を廻り込み小さな谷に架けられた丸木橋を渡ると再び林に入った。新茶屋跡にはほどなく着いた。古道は四寸岩山の裾を大きく迂回していた。これなら四寸岩山の頂上も見えていた事だし直進して山を越えた方が楽であったかも知れなかった。一息入れここで昼食を摂る事とした。
苔生した石に座り宿坊で頼んだ弁当を開けてみると昔懐かしい日の丸弁当であった。梅干に切り昆布だけの質素な昼食もすきっ腹にはご馳走であった。
新茶屋跡から再び木立の中を歩いたがしばらく行くと舗装された林道が再び目に入った。吉野から五十丁の丁石が有る五十丁茶屋跡の標識を確認し林間をしばらく歩くと林が切れ道は急な石段に行き当たった。
下を見るとそこは先程から見え隠れしていた林道であった。まさか舗装された林道に出るとは思わず地図を確かめたが六年前の地図に林道は記されていなかった。
他に道は無く已む無く舗装された林道を歩いたがなかなか古道の標識は現れなかった。何処かで古道に入る道を見逃したのかと思い少し引き返して探したがそれらしい道は無く、注意深く道路脇の標識を捜し求めて歩いた。
大分歩いた先に小さな標識が有り左古道と記されていた。藪の中に付けられた草が生い茂る細い古道を歩くと途中に青根ヶ峰の標識があった。
青根ヶ峰の登りと思い林の中をしばらく登ったがたいした登りも無く下り道になった。そして再び林道に出て致し方なく舗装された道を歩いた。
古道は何時の間にか林道に寸断され昔の俤を無くしていた。道路の照り返しを受けて暑さが増し無性に喉が乾き、ついに水筒の水を飲み干してしまった。
昨日はあまり水を飲まず、今朝は宿坊の主人がわざわざお茶を沸かしてくれたが皆、一リットル程度しか水筒に入れなかった。この事が裏目に出て全員の水筒が空になった。
その上、山道とは異なりアスファルトの道路は無機質で疲れが倍増した。単調な登りが続きただ黙々と歩いた。歩き疲れた頃に標識が有り、左、青根ヶ峰古道と記されていた。藪の中に先程と同じ様な草が生い茂る登り坂の細い道が続いていた。
一方、林道は少し先から青根ヶ峰を迂回する下り坂であった。青根ヶ峰に登り、七十番「愛染の宿」、七十一番「金峯神社」と桜は咲いていないが奥の千本を通る道に魅力を感じたが下り坂の誘惑には勝てず林道を歩く事とした。
林道は青根ヶ峰の山腹を縫ってくねくねと下り坂が続き金峯山寺の参道の前に出た。参道脇に「大峯奥駈け道」と記した標識があった。そこから急勾配の下り坂が続き、途中に水飲場が有ったが湧水は涸れていた。
人家も近く先を急いで歩くと七十二番靡の「吉野水分神社」に至った。吉野水分神社は延喜式内社に名を連ねる古社で主祭神は「天之水分神」である。
この神は御名の通り吉野の分水嶺に位置し程よく田畑に水を分け与える神である。古くは水を司る神として青根ヶ峰の山頂に祀られていた。
やっと人里に下り立ち文明の利器、自動販売機を見つけ喉の乾きを潤し、しばらく神社の石段に腰を下ろして疲れを癒した。
少し下って見晴台から蔵王堂を臨むとまだまだ遥か下であった。見晴台から七曲の急坂を下り、道の両側に民家が建ち並ぶ生活道路をてくてくと歩いた。
下る途中に山上に宿坊が有る、竹林院、桜本坊が有った。中の千本を過ぎると「吉野葛」や「陀羅尼助丸」それに「柿の葉すし」を販売する土産物店が軒を連ねていた。商店街を通り抜けやっと蔵王堂に至り、しばしお堂を眺めて休息を取った。