叡山千日回峰行一日体験記

本 坂

 一時の休息の後、東塔の根本中堂を目指して、叡山への登りに入った。

 懐中電灯の灯かりを頼りに長い石段を登り切ると坂本と叡山を結ぶ坂本ケーブル(昭和二年(一九二七年)完工)に向う車道に出た。

 車道をしばらく歩き「関係者以外立入禁止」の標識が有る柵をくぐるとそこから先は砂利道であった。

 砂利道の右側は深く切れ込んだ谷になっていた。若い僧が行きつ戻りつ「右側は深い谷ですから注意して左に寄って下さい。」と声を掛けていた。

 どれほど登ったであろうか、谷を登り切って高みに着くと世話役の僧から「全員、懐中電灯の灯かりを消して下さい。」と告げられた。

 木々が途切れ右手を見ると漆黒の闇の中に坂本の町の灯かりと琵琶湖を挟んで対岸の町守山、草津の灯かりがキラキラと光の輪となって広がっていた。

 前方を見ると黒々とした木々を背に白い浄衣の大阿闍梨が六尺棒を斜め前に突き立て、背筋を伸ばし、じっと琵琶湖を見つめていた。そのお姿は漆黒の闇の中に大阿闍梨の白い浄衣が宙に浮いている様に見えとても印象的であった。

 全員が揃うと大阿闍梨は袖をひるがえして琵琶湖に向って真言を唱え深々と遥拝した。一行も大阿闍梨に倣って真言を唱え琵琶湖を遥拝し、しばし美しい光景に見とれていた。

 それからも長い砂利道の登りが続き、しばらくの間、無言の「行」を申し渡された。

 暗闇の中、木々の葉擦れの音も無く、踏みしめる砂利音だけがザクザクとやけに大きく聞こえた。

 大阿闍梨は時々立ち止まっては真言を唱えた。暗闇の中、何が有るのか懐中電灯で照らすわけにもいかず、この場所も聖地なのかと皆に合せて合掌した。

 ある場所では大阿闍梨が小石を拾い真言を唱えて小石を置いた。道中安全の祈願を込めて道祖神を祀る供養なのか大阿闍梨の指示に従い一人ずつ順番に合掌して小石を置いた。

 二~三度この様な儀式が行なわれた。今まで繰り返し積み上げられたのか小石の山はさしずめケルンの如くであった。

 ここで世話役の僧からこれからの道筋について説明が有った。「ここから先は急坂が続きます。およそ四十五度の急坂を一気に登ります。登る自信の無い方、ここまでの行程で体調が思わしくない方は申し出て下さい。無理をせず小僧に案内させますので下山してください。いらっしゃいませんか?」

 「いない様でしたら登りについて注意致します。道は狭く一列に並んで登って下さい。相当急な登りですから疲れた方は次ぎの人に道を譲りしばらく休んだ後に登って下さい。これは登山ではないので急ぐ事は有りません。道がぬかるんでいるので滑らない様に注意して下さい。それでは大阿闍梨様の後に続いて出発致します。」

 滑りそうな桟道さんどうを渡り登りに差しかかると世話役の僧が申していた通り急坂が続いていた。大阿闍梨は急坂も平地の如くゆったりとした速度で歩を進めていたが我々は喘ぎ喘ぎ登った。

 千日回峰行に挑んでいた頃は峰々を駆け巡ったであろう大阿闍梨が皆の疲れを気遣い何度も立ち止まり、皆が追い着くのを待っていた。

 大阿闍梨は小休止の度に「これは登山では有りません「行」なのです、無理をせず疲れたら道を譲りゆっくりと自分のペースで登って下さい、事故が起こると大変です、疲れた方は申し出て下さい。」と何度も念を押し、「前後の方の疲れ具合を気遣ってください。」と申し添えた。崖道では供として付き従う若い僧を走らせて注意を喚起し、安全には事のほか気を配っていた。

 当初、我々の想像では、大阿闍梨は千日回峰行の修行時の如く駆け上り駆け下る、そのスピードに付いて行けるかどうかを思案していたが予想に反して小休止を重ねての登りであった。

 しだいに夜が白みはじめ尾根筋を仰ぐと木々が黄金に輝いていた。懐中電灯の灯りも不要になり、うっすらと霧の立ち込める樹林の中を登ると苔むした石垣の上に粗末な休憩所があった。

 小屋の周りには鬱蒼とした杉の大樹が天を覆っていた。中には数人掛りでも抱えられないような大樹があった。

 しばらくの間、後続の人達を待ち、ある程度集まったところで世話役から「これから谷を下り慈覚じかく大師円仁えんにんの廟墓に向かいます、廟墓に拝礼し再び引き返してくるので、疲れた方はここで休んで下さい。」との説明があった。

 我々は初めての参加でも有りすべて体験したいと思い、大阿闍梨に付き従って慈覚大師廟道と呼ばれる渓道を下った。

 渓道は下草が生い茂り人の踏み跡が細い一筋の道となっていた。この谷間にはまだ朝日はとどかず林間にはもやが立ち込めていた。それは色彩の無い墨絵の世界に足を踏み入れたような感じであった。

 先へ進むにつれ空は明るさを増し、薄靄うすもやの先に墓石が建ち並んでいた。高僧の墓であろうか、墓石の廻りの雑草は綺麗に抜き取られていた。大阿闍梨は墓石の前に立ち、経を唱え真言を念じ、若い僧は持参した供花を花筒に挿して「供華」を行なった。

 荘厳で霊気に満ちた渓道をさらに先に進むと道の両側に多数の墓石が並び、正面に玉垣で囲まれた慈覚大師円仁の廟墓があった。

 ほんの僅かの時間しか経っていないが円仁の廟墓に着くと空が急に明るくなりいつの間にか靄も消え渓道は普通の谷間の景色に変わっていた。

 若い僧の指示に従い全員で廟墓の前の落ち葉を拾い集め、草むしりをした。大阿闍梨は「供華」を行い恭しく拝礼し経を唱え、随行する一行も師に唱和して般若心経と真言を唱えた。

 拝礼を終えて来た道を引き返したが結構な登りであった。何故、通うのも難儀なこの様な谷間を墓所としたのであろうか、などと思いつつ元の場所に戻り小休止となった。

 慈覚大師円仁の廟墓に向かう時には気が付かなかったが我々が律院を出発してから先回りして来たのか、律院のマイクロバスが停車していた。

 世話役の僧から「疲れた方はいらっしゃいませんか?、ここまで登ってきたが体調が思わしくない方はいらっしゃいませんか?、ここから先も急坂が続きますので無理をせずに疲れた方はマイクロバスに乗って下さい。」と声を掛け、疲れて座り込んでいる人達を気遣っていた。数人のご婦人達がバスのお世話になった。

 ここから先はコンクリートで舗装された急坂の登りとなった。大阿闍梨は平地を歩くが如く悠然と坂を登っていった。坂は見上げてもなをコンクリートの急坂が続く長い長い登りであった。


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