北京・西安・上海 駆け足の旅

中国雑感

 年収

 北京の戸籍人口はおよそ一二五〇万人、日々の流動人口は三百万とも五百万人とも云われている。(平成十二年の東京二十三区の人口は約八百二十七万人、東京都の人口は一千二百六十万人)

 有職者の年間所得はおよそ六千五百元(九万七千五百円、月収八千百二十五円)、住居は一人当りの占有面積が十平方メートル弱に過ぎない。

 一人一室のマンションに住み、車を持つのが最大の望みで有るとの事。中国で車を持つのは成功した個人事業主か外資系か銀行に勤める超エリートである。

 因みに内陸部の農村では年間所得千九百元(二万八千五百円)、上海等の沿海部では年収三万元(四十五万円)を超える富裕層も多数に上っている。

 流動人口が多いのも極端な貧富の差に起因していると思われるがそれにしても豊かさを求めて北京に流入する人々が三百万~五百万人とは信じられない多さである。


 

 中国では自動車の価額が想像以上に高く庶民には手の届かない高嶺の花との事。ガイドの話しを伺って驚いた事に、人気の高い日本車のカローラ・クラスの新車が日本円で三百万円以上するそうである。

 それにしても高く上海の高給取りでも月収の八十ヶ月もする。北京でタクシーに乗った折り、日本ではカローラ・クラスなら新車で百数十万円、中古車なら数十万円程度と話すと運転手は信じられないと話していた。

 意外にガソリンは安く1リッター日本円で四十五円程度との事。タクシーも1キロ一・五元(一元十五円)と驚くほど安いと感じたが、中国のガイドは中国の給与水準から見て日本に比べガソリンもタクシー代も非常に高いと嘆いていた。

 それにしても高価な自動車が東京や大阪と変わりないほど道路を埋め尽している光景に驚きを感じた。都市間の貧富の差も大きく上海では北京で見掛けなかった三千万円以上はすると聞かされたベンツ等の高級外車を数多く見掛けた。

 中国では街中を走っている車を見るとその地域の経済事情がなんとなく解かる。上海で見た車は日本と同じ様にピカピカに磨かれ比較的運転マナーも良く、新車と思われる車や大型車、高級外車を数多く見掛けた。トラックもそれなりに洗車して走っていた。

 北京で見かけた車はほとんどが中古車とおぼしき車であった。新車と思われる車や高級外車はあまり見掛けず、街中を走る車の大半は薄汚れた小型車とトラックであった。

 西安の街では乗用車のほとんどが薄汚れた小型車でピカピカに磨かれた車を見る事はなかった。たまたま停車中のトラックを見て驚いた。そのトラックのタイヤは磨り減って溝も無く、良くこれで走っていると感心させられた。


 北京の通勤事情

 北京には地下鉄も有るが大半はバスか自転車で通勤している。自宅から会社までバスで三十分程度なら自転車通勤、それを超えるとバス通勤が普通との事。

 但し、バス(二両連結で走っていた)には冷房が無く鮨詰め状態で夏は全身から汗が噴き出るほどの耐えられない状況との事。

 その為、夏は少々遠くても自転車通勤が増え、冬は寒さが厳しくバス通勤が増えるとの事。バスで三十分、およそ二十~三十キロを自転車通勤している事に驚かされた。

 自転車通勤を選ぶ最大の理由は経済的な事情に拠る。地下鉄沿線であっても庶民は自転車かバス通勤が普通との事。因みに自転車は一台およそ五千円、安く感じるが北京の平均的なサラリーマンの月収の五~六割もする高価な買物である。因みに北京にはおよそ九百万台の自転車が有ると言われている。


 看板

 空港から市内に向う途中、先ず気付いたのが看板の多い事であった。至る所に掲げられ、それも巨大な看板である。

 看板の横をバスで走ると全体が見えずはたして何の看板かさっぱり解からないほど巨大である。面白い事に大半の看板は若い女性の似顔絵と宣伝の商品という構図であった。

 郷に入れば郷に従えの格言が有るが日本のメーカーの看板は一様に社名を記載した何の変哲も無い看板であった。

 日本も昭和三十年代、街中の至る所に大小さまざまな看板が掲げられていた。その後、景観規制の影響で看板は姿を消したが、中国では一昔前の日本で見かけた看板より数倍大きい巨大な看板が広告媒体として幅をきかせていた。


 レストラン

 北京、西安、上海とガイドに案内されたレストランは外国人専用なのか満席にも関わらず欧米人と日本人の観光客ばかりであった。

 料金が外国人向けに設定されているからであろうか、はたまた中国の政策として観光客を当てにした外国人専用のレストランになっているのであろうか、中国人は一人も見かけなかった。物価水準の違いもさることながら中国の観光政策を垣間見た感じであった。

 接客のウエイトレスは皆若く、彼女達の大半はカタコトの英語が話せるようであった。北京のレストランで何を注文したか忘れたが日本語で訪ねたところさっぱり通じず逆に英語は話せますかと聞かれた。

 ガイドに案内されたどのレストランにも日本語を解するウエイトレスが必ず数人はおり、時には日本人かと見紛う程に流暢な日本語を話すウエイトレスもいた。

 北京のレストランでは思わず留学生がアルバイトしているのではと思い日本から来られたのですかと伺ったほど流暢な日本語を話すウエイトレスがいた。

 どのレストランもコップ一杯のビールがサービスで付き、追加でビールを注文すると中国産のビール大瓶一本の値段が北京では二十~三十元(三百~四百五十円)、西安では十~十五元(百五十~二百二十五円)、上海では二十元(三百円)であった。


 土産物店

 観光客目当ての土産物店も中国の政策として日本人専門店と欧米人専門店に分かれているのではないだろうか。観光地でもレストランでも日本人より圧倒的に西洋人を多く見かけたがガイドに案内された土産物店では日本人以外は見かけなかった。

 土産物店の店員は若い女性が大半で、どの店も日本円で買い物が出来る。彼女達は片言の日本語を話し、数人の店員は流暢な日本語を話すので買い物には困らなかった。中には驚くほど日本語が巧みで思わず日本人ですかと質問したほど流暢に日本語を話す店員もいた。

 店内に並べられた商品には一応値札は付いているが上値を記しているに過ぎない。値切るとまず半値まで値段が下がりそれ以上値切ると幾つ買ってくれるかと訪ねてくる。同じ商品を多数買えば値引き率が上がり、「おまけ」が付いてくる。また、いくらなら買ってくれるかと指値を求める店員もいた。

 同じ店でも店員によって値段が異なり、値切るのも面白いが価額はいったいいくらが妥当なのか一物多価に驚かされた。

 どの店も日本の観光客と知ると店員が付きっきりで次々に商品を取り出し、絶対に客は逃がさない、何か必ず買って頂くと執拗なほどの熱心さである。

 笑顔を絶やさずカタコトの日本語で熱心に勧められるとついつい根負けして買ってしまった事もあった。ガイドに云わせると日本人は情にもろく熱心に売り込むと必ず買ってくれるお金持ちの上客との事。

 唯一、一切値引きに応じない店が有った。それは国営の絹織物の製造工場に隣接する土産物店であった。日本で買う値段の三分の一~五分の一の値段であったがいくら値切っても正札から値引きしなかった。但し、まとめて買うと告げると必ず「おまけ」が付いた。

 観察して見ると土産物店の店員も賢く、ツアー客のバッチを見ている。同じツアー客には一旦値決めすると単品の値段は変えず購入する数量によって値引きに応じる。

 しかし、バッチが違うと新たな客と見做し値切ると値引きに応じる。いったい正価とはいくらなのだと疑問に思う。

 大坂の日本橋や東京の秋葉原は交渉次第で値引きが常識であるがせいぜい二割~三割の値引きであるが、中国では五割が当たり前、交渉すればいったいいくらまで下げるのか見当も付かない。是非、デパートへ行って正札でいくらするのか確かめたいとも思った。

 但し、日本に帰ってからこの値段でこの品物なら纏め買いしておけば良かったと思う品も有った。


 物売り

 北京では故宮見学の後、ガイドから有名なお茶屋に案内すると告げられ、広い街路に出ると故宮の解説書を手に持つ物売りが千円、千円とひつこく付き纏ってきた。

 あまりのひつこさと熱心さにほだされ買ってみようかと売り子の本を見ると中国語と英語の本であった。日本語の本であれば買うと告げたが言葉が通ぜず延々と付き纏われ辟易した。

 彼ら彼女らには一定のルールが有るのか、お茶屋が有る公園の門の前に来ると姿を消した。お茶屋では流暢な日本語で高尚なお茶の講釈を聞き、さまざまなお茶を試飲した。


 飲料水

 中国では生水が飲めず朝夕の口磨きも水道の水を使用しないようにとの注意書を頂戴していた。ホテルの洗面所には五百ミリのミネラルウォーターが置いてあったがどうしても足りなかった。

 飲めないのは雑菌の処理が為されていないのであろうと思い就寝の前に電熱式のポットで水道水を沸かし翌朝その水で口をすすいだ。

 北京と西安のホテルには電熱式のポットが有ったが、上海の高級ホテルにはなかった。致し方なく西安の空港で買ったミネラルウォーターを使用した次第。

 北京、西安、上海と案内されたどの土産物店でもお茶の接待があったのは有りがたかった。用心の為、ペットボトルを買ったがホテルでは中国のミネラルウォーターが五元(一元十五円)、輸入のミネラルウォーターは三十元であった。自動車から水に至るまで輸入品は日本より高く、高率の税金を掛けている事が解かる。


平成十四年(2002年)十月十四~十八日
 北京、西安、上海の旅


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