イタリア紀行
旅の始まり
職を辞し、妻の念願であった海外旅行を懇請された。妻はイタリアに強い憧れを持ち是非訪れたい国の第一に挙げ、何時かは訪れたいと夢を膨らませていた。
小生、妻の思いは解かれども十数時間の禁煙に難色を示し容易に首を縦に振らなかった。毎日毎日、耳元で囁かれ観念してイタリア旅行を承諾した次第。
九月の始めに十月第一週出発のツアーを申し込んだが既に募集は締め切られていた。世の中、不況とは云えイタリア旅行の人気の高さに驚かされた。旅行案内所の係員に相談しローマで一日の自由時間が有りかつ余り無理の無いツアーに落ち着いた。
妻は早速、旅行用品とイタリアのガイドブックそれに旅行会話本を購入し、数日かかって旅の支度を調えた。(折角、購入したガイドブックと旅行会話本は携帯したが妻は旅行中ほとんど目を通さなかった)
関空に着いたのは所定の時間よりかなり早くまだ添乗員も待機していなかった。係員からチケットを受け取り、添乗員が来るのを待てば良いのにスーツケースを預けチェックインカウンターで座席の予約を済ませた。(ツアーの一行は添乗員が纏めて座席を予約し固まっていたが我々夫婦は一行とはかなり座席が離れてしまった)
集合場所に戻り添乗員からツアー同行者の紹介を受けた。ツアーの同行者は新婚さんが二組、女性の三人組、中年の姉妹、老婦人の姉妹それに小生と同年輩のご夫婦が三組、ベテランの添乗員さんを入れて総勢二十名であった。
いよいよ出発の時間が迫り喫煙コーナーで最後の煙草を味わい乗り込んだ。関空から十二時間、煙草が吸えない長い長い退屈な時間が始まった。狭い座席に身を縮めてひたすら小説を読み、読み疲れると映画を見たりゲームをして時間をつぶした。
機内サービスのアルコールも煙草が吸いたくなるので程々に控え、暇つぶしに座席の前に有るディスプレイを操作して何度と無く現在地を確認した。
禁煙を心配していたが思ったほどの苦痛ではなかった。それよりも座席の狭さに閉口した。隣の席に座る若い英国紳士は長身を折り曲げ身じろぎもせず、トイレにもほとんど立たず座り続ける態度に感心させられた。そして、機内サービスでは梅干し入りのおにぎりを注文したのには驚かされた。
長い長い十二時間が過ぎヒースロー空港に近づいた事を告げる機内アナウンスが有り、飛行機は高度を下げて雲海を突き抜けるとロンドンの街並みが見えた。滑走路の映像が大写しになり轟音と共に無事着陸しやっと苦行が終わった。
ヒースロー空港はとにかく、広く(関空の四~五倍有るとの事、一日一二五〇便も発着し、年間利用客は六二〇〇万人を越える)四つのターミナルが有り、到着ロビーから出発ロビーまで移動にかなりの時間が掛かった。
添乗員に導かれるまま階段を下り、通路を歩き、動く歩道に二度乗り換え、バスに乗ってやっと出発ロビーに着いた。
この間、喫煙場所は無く出発ロビーに着いて早速、添乗員に喫煙場所を聞きそこに向かった。教えられた喫煙場所は紫煙が霞の如く棚引きとても煙草をくゆらせる場所ではなかった。それでも取り敢えず一服したが煙草を吸った気にはならなかった。
ローマに向かうアリタリア航空に乗り継ぐまで約三時間の待ち時間があった。時間つぶしに添乗員に教えられたショッピング街を散策した。其処は繁華街と変わらぬ活況を呈し、高級ブランド店が軒を連ね、レストランが有った。しゃれたパブを見つけたが長旅の疲れかビールを飲む気分にもなれず、お茶を飲みながらくつろげる場所を探した。
オープンスペースにテーブルとイスを並べたセルフサービスの店を見つけ紅茶の本場ゆえティーを注文した。ふと見ると少し離れた先のテーブルで外国人が煙草をくゆらせているのが目にとまった。 早速、灰皿を取り寄せやっと煙草の味を楽しんだ次第。
人心地がつき煙草の煙をくゆらせながら辺りを見まわすとスラリとした金髪の美女が行き交い、英語の会話が飛び交っていた。改めて異国の地に降り立った事を実感した。
ロンドンからローマまではアリタリア航空に乗り継ぎ二時間半ほどでローマのレオナルド・ダ・ヴィンチ空港に着いた。
ローマに降り立ったのは時差の関係でその日の深夜、二十三時頃であった。ロンドンで入国審査を済ませていたのでEU加盟国イタリアでは入国審査も無く添乗員に導かれるままバスに乗りこんだ。
ローマの空港からホテルまでバスは深夜の高速道路を突っ走った。ホテルに着き添乗員から翌日のスケジュールを聞いて就寝したのはすでに夜中の二時前であった。