大峯山峯入紀行

山上ヶ岳

大峰山、山上ヶ岳、弥山  大峯山寺を後にして眺めの良い山頂に向かった。山上ヶ岳の山頂は大峯山寺から少し登った先にあり、山容はなだらかで潅木の先にヒメザサが一面に生い茂っていた。(大峯山と名付けられた山は無く通称、山上ヶ岳を大峯山と称している。)

 登りの時の曇り空がうそのように晴れ、山上の天候は快晴であった。眼下に雲海が広がり正面に稲村ヶ岳と大日山が聳え、左に弥山、釈迦ヶ岳と翠に輝く大峯山脈の稜線が一望千里であった。

 昔、若かりし頃、前に見える弥山、釈迦ヶ岳の稜線を越えて「奥駈け」の半ばである前鬼まで走破したが、目の前の稜線はどこまでも続き走破した事が信じられないような眺めであった。しばらく草原に腰を降ろし美しい景観に見惚れていた。

 山上ヶ岳の三角点は潅木の林の中に有り、ヒメザサが生い茂る獣道けものみちのような細い道を辿ると一等三角点があり海抜一七一九メートルと記されていた。

 三角点の脇に玉垣で囲まれた禁足地に湧出ヶ岳と呼ばれる岩がある。この岩は役行者が衆生済度さいどに相応しい仏の出現を一千日に亘り祈りつづけたところ、忽然として釈迦如来が現れた。

 役小角はなお祈り続け、末世に相応しいお姿をお示し給えと祈り続けると、弥勒菩薩が姿を現わした。

 役小角はなお末世に相応しいお姿をと祈り続けると火焔を背負い忿怒ふんぬの形相で金剛蔵王権現がこの岩から湧出したと伝えられる岩である。

 この様なわれから金剛蔵王権現は過去世の釈迦如来の化身とも、現世を救済する千手観音とも又、未来を救済する弥勒菩薩の化身とも称される。

 役小角は火焔を背負い忿怒ふんぬの形相で現れた金剛蔵王権現を桜の木に刻んで大峯山寺と吉野蔵王堂に祀った事から桜が吉野のご神木となった。

 (金剛蔵王権現は仏教の経典に拠らず日本独自の仏で、お姿は密教の明王に酷似している。役小角を神格化するために創り出された仏であろう。密教の招来と共に大日経の説く大日如来の化身が不動明王であるが如く、金剛蔵王権現を釈迦如来と弥勒菩薩の化身として位置付けたのではないだろうか。)

 昭和五十九年、大峯山寺大修理の際、発掘調査が行なわれ純金の仏像、その他多数の出土品が発掘され、奈良時代後期には湧出ヶ岳をご神体として護摩壇があったことが判明している。


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